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文化生産のエンジンとしての〈自然

Ecotourism in Costa Rica, Natural Environment as Emotional Engine


岩波講座文化人類学『移動の民族誌』収載論文「コスタリカのエコツーリズム」のプロトタイプ論文

池田光穂

エコツーリズムは多くの人に多 くのことを意味する。——ティークル卿

本物をめぐる弁証法は、近代のすべ ての社会構造の発展の核心にある。 ——D・マッカネル
                           

 一 序論

文化人類学においてエコ・ツーリズムを研究することは、いくつかの新しい視点を提供する。まず、世界最 大といわれる国際観光産業(WTTC 1992)の発展の中でもエコ・ツーリズムは現在急速に人びとに広まりつつある社会現象である。国際観光はグローバルな観光客をローカルな空間に運び込む ことで、観光客を送り出す社会と受け入れる社会の両方に変化を及ぼす。エコ・ツーリズムではさらに「自然」という要素が加わり、環境と文化の構成体とも言 うべき現象に我々は直面する。その際、強調されるべきことは自然というものの二重性である。「自然」は一方では人びとの前に具体的な様相としてあらわれ観 照の対象となる。しかし他方で<自然>は抽象的な理念として理解され、人びとの行動を実践面から規定する。この自然の二重性のゆえに「自然」は行為者に対 して文化的加工を受けた姿をあらわす。この性質に着目すれば観光客の自然認識について把握することができる。エコ・ツーリズムの研究では、観光の地球規模 化によって生じた我々も含めた人びとの日常生活を、自然観との関連の中で立体的にとらえることができる。この論文は<自然>についての人類学的研究の一つ の試みである。私は中央アメリカのコスタリカ共和国のエコ・ツーリズムの事例を通して、<自然>が人びとの生活の中で中心的な位置を占めるにいたった文化 的なプロセスについて考察する【1】。

この論文の英語版は:Eco-Tourism, Exploitation and the Cultural Production of the Natural Environment in Costa Rica:でリンクしてください。

エコ・ツーリズムを研究対象にするにあたって、これから用いる一連の用語に一貫性を与えることは不可欠 である。なぜならエコ・ツーリズムという用語には無数の定義があり、それが混乱の原因になっているからだ(池田、一九九五; Carter 1994)。

エコ・ツアー、エコ・ツーリスト、エコ・ツーリズムを次のように操作的に定義する【2】。

 エコ・ツアー————自然を対象とする具体的 な観光旅行。熱帯林の小道や、湿地の水路での動植物のウォッチング、イグアナ牧場やバタフライファーム(蝶の生態観察園)の見学、海亀の産卵観察など。コ スタリカのエコ・ツアーにはグループ観光、個人旅行、個人ガイドツアーなどの多様な形態のものが用意されている。

 エコ・ツーリスト——エコ・ツアーに参加する 観光客。国内観光客と外国人に弁別することができるが、社会階層やエスニシティなども配慮すべき視点になる。

 エコ・ツーリズム——現代社会において自然を 対象とする観光が生み出した諸々の社会現象。エコ・ツーリズム研究は、エコ・ツアーに参加するエコ・ツーリストの実態を明らかにするのみならず、汚染や伐 採などの環境破壊、森林や景観の保護などの環境保全、持続的開発(sustainable development)、自然認識などが、人びとの生活全般とどのような関係にあるのかについて考察する。


 ネルソン・グレーバン教授は、文化/自然の二項対立の伝統の上にたって観光現象を文化観光(Culture Tourism)と自然観光(Nature Tourism)に大別する(Graburn 1989:31-2)。自然観光は、環境観光(Environmental Tourism)と生態学的観光(Ecological Tourism)に分けられ、前者は環境を遊び場として利用するキャンプや狩猟採取などをその典型とし、後者は自然そのものが目的となる観光としている。 生態学的観光は環境観光から派生したとグレーバンが指摘するように、当初はキャンプや狩猟採取のように自然は目的地の環境に過ぎなかった。つまりエコ・ツ アーは動物を殺さないサファリに例えられる。 ンターたちが持つ猟銃を、望遠鏡に持ち替えた時、彼らはエコ・ツーリストになったのだ。

 二 エコ・ツアーとエコ・ツーリスト

 観光の人類学的研究では、ホストとゲストという組み合わせ(Smith ed. 1989)や、観光客、観光対象者、仲介者という三すくみのセット(van den Berghe 1994)など、観光を担ういくつかの人間的要素が抽出され、それらの範疇の中身についての記述とともに要素間の相互作用が考察されてきた。コスタリカの エコ・ツアーを必要かつ最小限の要素に還元するにあたって、私はヴァン・デン・バーグの手法に倣う。彼はメキシコ南部のエスニック観光に関する民族誌を書 いたが、この現象を分析する際に、(i)観光客、(ii)観光対象者であるインディヘナ、および観光客を現地まで運び観光を演出する(iii)仲介者たち (middlemen)——観光業者、土産物販売者、運輸業者さらには地方政府や国家までを含む——という三つの範疇に分けて考察した。エスニック観光に おいて、観光客はインディヘナの生活習俗や彼らの作る民芸品に興味を抱くのだが、エコ・ツアーの場合では観光客の興味の対象は人間ではなく、動植物や生態 系という「自然」である。つまり、(a)観光客、(b)「自然」、(c)仲介者という要素によってエコ・ツアーは構成される。


 (a)観光客


 旅行者はコスタリカ人とそれ以外の外国人に分けられる。

 コスタリカの人たちはこの論文で取り扱うエコ・ツアーを十分に享受しているとは言えない。一九六〇 年代末から 七〇年代にかけての調査をもとにさらに八〇年代末に増補版が出たコスタリカの国民文化に関する民族誌は、コスタリカ人はピクニックをおこなうが、その姿は ラジオを騒々しく鳴らすものであると述べる(Biesanz et al. 1988:158)。しかし現在彼らのあいだでエコ・ツアーに関する興味が形成されつつあるのも確かだ。マスメディアの報道を通して、自分の国が世界有数 のエコ・ツアーの目的地になったことを人びとはよく知っている。「教育水準が高く、中産階級が多く、平和を愛する国民」というコスタリカ人の自画像に「自 然を愛し、観光客に親切な人びと」という要素が加えられつつある。またモータリゼーションの発達によって都会の富裕な人たちは週末にドライブをして、自然 公園をリクリエーションの場として利用している。北西部の太平洋岸のグアナカステ県にあるサンタ・ロサ国立公園への国内旅行者の増加傾向はその典型である (図1)。ただ、この論文で扱うエコ・ツアーにはほど遠く、グレーバンの言う環境観光の水準に止まっている【3】。

 エコ・ツーリズムの主たる担い手は外国人観光客である。ファン・サンタ・マリア国際空港から入国し た外国人観 光客の統計(一九九三年一月〜十一月の政府観光局集計)によると、四五万六千人余りの入国者の地域別の内訳は、アメリカ合衆国(四五・五%)、カナダ (七・七%)、ヨーロッパ(二〇・一%)、中央アメリカ(一〇・四%)、南アメリカ(九・六%)となっており、北米とくにアメリカ合衆国からの入国者が過 半数を占める。コスタリカ北東部のカリブ海沿岸にある熱帯雨林トルトゥゲーロ国立公園は、水路をボートで移動しながら野生生物をみるというジャングルク ルーズが受けて外国人向けの観光地として急成長した(図2)。


 (b)「自然」


 コスタリカ航空会社のグラビアを多用した豪華な機内誌、国際空港でのエコ・ツアー会社の広告のイルミ ネーション、首都サンホセの目抜き通りにある旅行代理店の看板や壁のペンキ画、飲料の巨大広告、あらゆる商品の街頭ポスター、テレビやラジオの宣伝、観光 局やホテルに置かれてあるチラシなど、おびただしい媒体にコスタリカの「自然」が図像と文字によって表現されている。そこでは緑色の森林を背景に金剛イン コ、蜂鳥、オオ シ、ケッツァルなどの極彩色の鳥や、豹、イグアナ、蝶などの動物が配され紋切り型のキャッチフレーズで溢れ返っている。中央アメリカを旅行するほとんどの 外国人観光客は、旅行案内書を携帯している。旅行案内書の執筆者の多くは、コスタリカの文化と自然に精通した旅行家や自称「博物学者」である【4】。そこ にもおびただしい「自然」のイメージと言説が登場する。エコ・ツーリストはそのようなイメージに込められた要素(鳥や蝶や草木)の多様さの中に自然の豊か さを予感する。他方、生物学者はコスタリカの自然を生物多様性の中にみる。コスタリカの生態系は極めて多様性に富んでいるといわれる(Janzen ed. 1991)。生物多様性は科学的に定義され、定量化されている。コスタリカの生態系に関する知識の蓄積に関して北米を中心とする生物学者たちの功績は無視 できない。彼らの論文や報告書はコスタリカの自然保護に関して多大なる影響力を与えた。研究者たちは保護区の追加指定のためのロビー活動もおこなっている 【5】。


 (c)仲介者


 コスタリカ政府が始めて観光局を設置したのは一九三一年であり、現行の政府観光局として発足したのは一 九五一年である。エコ・ツアーを最初に専門に手がけるようになった代理店はアメリカ人の経営になるもので一九七九年に創業した。コスタリカにはこの種のエ コ・ツアーを専門に手がける大手の代理店が幾つかあり、コスタリカ人の経営者と外国人経営になるものがある。それらの創業年は、一九八三年、八四年、八五 年(二件)、八六年、と八〇年代前半に主要なものが出そろう(Boo 1990b:30)。ブー(一九九〇)によるとコスタリカの旅行代理店のうちの三分の一がエコ・ツーリズムの代理店を標榜すると言われている。この調査は 一九八八年に行われたものであり、九三年から九四年にかけて私が訪問した全ての旅行代理店が何がしかのエコ・ツアーのパッケージを用意していた。旅行代理 店の従業員、観光ガイド、運転手、公園職員はコスタリカ人で、英語か他のヨーロッパ語を話せるバイリンガルである。外国語を話せることはこの職業への就職 ための必須条件である。自然公園には北米やヨーロッパ出身のボランティアがおり、彼らのほとんどは英語と現地語であるスペイン語を話す。


 エコ・ツアーを右のような三つの要素に分けたとしても、これで全てを説明できるわけではない。例えば仲介者を 極力排除した個人的なエコ・ツーリストも存在するからである。したがってエコ・ツアーを別の角度から分類し、補足説明をおこなう必要がある。参加の方法に 着目してエコ・ツアーを、(1)グループ観光、(2)個人旅行、(3)個人ガイドツアーに分ける。

(1)グループ観光

 グループ観光は旅行代理店が組織する。代理店 は目的地、難易度、価格のレベルに応じてさまざまなパッケージを準備している。代理店は顧客の要求次第では、他の業者にも相互に斡旋を行い、割戻金や互酬 を通してお互いの利益を確保している。グループ観光では、運転手がマイクロバスで旅行当日の早朝ホテルロビーに客を出迎え、複数のホテルをピックアップ し、旅行者を目的地まで連れてゆく。保護区を自ら運営している業者が企画する比較的高級なツアーでは、観光客が直接指定された場所まで出向かねばならない ものもある。

(2)個人旅行

 個人あるいは少人数による旅行は文字どおり代 理店を使わず自力でおこなわれる。レンタカーあるいは公共交通手段をつかって移動する観光客は、道路地図やガイドブックを用いて自然公園にアクセスする。 グループ観光に比べて安価に旅行ができるが、公共交通機関を利用する外国人観光客——ヨーロッパからの若者のバックパッカーが目につく——ではスペイン語 を話せることは有利であり、また実際もそうであった。しかし、レンタカー利用者——大半がアメリカ人——にはスペイン語が話せないものもいた。

(3)個人ガイドツアー

 個人ガイドツアーでは旅行者は代理店の斡旋す る専門の自然観光のガイドを雇う。自然公園の入の手続きなどをガイドがおこない、好きな場所へ自由に旅行できるが、野営のための装備等が必要なので費用は 高価なものになる。この種の旅行者の多くは登山か先住民保護区に向かい、かつ基本的にパーティを組むのでオーダーメイドされたグループ観光という側面もあ る。


 

三 コスタリカのエコ・ツーリズム


 コスタリカのエコ・ツーリズムを表象するオーソドックスな方法は形式主義的なデータの提示である。デー タは、論文、書籍、観光ガイド、政府のパンフレットなどを通して得られる。これらはコスタリカの状況を、(1)生態的条件、(2)接近性の度合い、 (3)運用および経営形態、(4)政治的条件、(5)民族関係、(6)観光の経済的要因、などを列挙することで、コスタリカのエコ・ツアー産業の 成り立ちを因果関係も含めて提示する。例えば私がまとめた次のような記述である【7】。

(1)生態的条件

 (1)コスタリカの自然は、熱帯乾燥林、熱帯雲霧林、熱帯雨林、マングローブ林など多様な生態系か らなり、一二六〇から一五〇〇種類の樹木、二〇五種の哺乳類、八四九種の鳥類、二一八種類の爬虫類、そして少なくとも九千種の維管束植物が存在する生物の 宝庫である(Rovinski 1991:Boza 1988: Janzen ed. 1991)。このような自然が残った理由はさまざまに考えられている。まず、先住民および植民者の人口が稠密でなく、一九世紀初頭になるまで人口増加が顕 著でなかったこと。一九世紀に栽培されるようになるコーヒーは一八四〇年代に輸出が始まり、中央盆地から西方にむかって森林伐採が進む。しかしコーヒー栽 培地の開拓は一九世紀に終わり、その後は現在にいたるまで品種の改良や農薬の導入、労働集約化などで、森林伐採は続かなかったこと。天然資源も少なく、そ れを利用する労働力もなく低開発の状態が続いたこと(MacLeod 1973)。人口分布からみても現在の首都サンホセを中心とする数%の中央盆地に人口の6割近くが集中している。そのため人間による森林破壊の規模は有史 以降も大きくはなかったこと、などである。しかしながら現在コスタリカの自然保護に関して比較的よく取り上げられる話題は、この国の自然がさまざな手段を 用いて保全されているにもかかわらず、同時に森林伐採による破壊の速度(単位時間当たりの伐採面積)は中央アメリカでもっとも大きいことである (Sader and Joyce 1988; ブラウン、一九九六、二四四頁)。

(2)接近性の度合い

 (2)道路交通網はパンアメリカン イウェーを中心として総延長三万五千キロにおよび、五千六百キロが舗装されている。

(3)運用および経営形態

(3)森林の総面積は一万五千九百平方キロメートルであり、これは全国土の三一パセーントに相当する (Hedstrom 1988)。コスタリカには三四以上の国立公園および自然保護区があり、天然資源省の国立公園局と森林総局が管理している。国内の国立および私立の自然公 園はよく整備されている。一九六九年の森林法によると国土の保全に関して国立公園、生物保護区、森林保護区、鳥獣保護区、国家モニュメント、保護地帯(土 壌保全のための水路付近の保全地域)の六つのカテゴリーに分けられている。この自然保護区(広義)は面積にして国土の一一%強を占める。旅行業者はすべて 私営であり、国立あるいは私立の自然公園や保護区に観光客を受け入れ、そのアクセスや宿泊のみならずガイドなどの便宜を図っている。

(4)政治的条件

政府観光局によるとコスタリカは「政治的安定のイメージに加えて、自然保護に多大に配慮しつつ、多様 な魅力をもつという自国の観光発展に特段の潜在的可能性を有する唯一の旅行地である」と自負している(ICT 1990:3)。

(5)民族関係

三四〇万人(一九九五年推定)を占めるコスタリカの人口構成はメスティソを含む白人——コスタリカ人 のカテゴリーではメスティソは白人である——が九六%、黒人が二%、先住民一%、中国系一%である。観光業に従事している人びとの民族構成は、経営におい ては北米ならびにヨーロッパの移民とコスタリカ人が、ガイドや運転手はほとんどがコスタリカ人である。コスタリカに国外からくる観光客の多くは、北アメリ カとヨーロッパ人である。

(6)観光の経済的要因

 (6)エコ・ツーリストの男女比はほぼ同じ。一般的に年齢が高くなるほど彼らの収入は高く、滞在日 数は短くなる。エコ・ツーリズムのパッケージは日帰りで四、五〇ドルから、一週間で数百ドル程度のものまで多様である。ツアー料金はコスタリカ人の平均年 収(約五〇〇〇ドル)からみて高価であるが、白人外国人観光客からは割安と評価されている。コスタリカへの外国人観光客数は一九八六年以降増加傾向にあ り、年間一五%の成長をしている。八六年には二六万人であった外国人観光客が九三年には七〇万人にまで達した。観光客数の増加は外貨獲得の増加に反映して おり、現在では五〜六億ドルにおよび、この国の輸出の第一位をしめるバナナ産業を凌ぐ勢いである(図3)。観光はコスタリカにおいて最大の産業と言っても 過言ではない。


 このような形式主義的でかつ概括的な情報は、民族誌理解の背景知識として様々な資料から時に恣意的に引用され てきた。しかし観光を研究にする人類学者にとって、この種の記述つまり土地に関するさまざまな言説はそれ自体が研究の対象となる。この言説が人類学者を含 めた観光客に対して、土地のイメージを提供し、経験の要素を構成し、それらを強化するからである。エコ・ツアーもまた自然を見ながら、その自然に関する言 説を生産し、さらにその言説が自然の見方を規定するという自己再帰的な性格を有する。したがってエコ・ツーリズム研究では、人びとが共有し抽象化され、か つ実践面から人びとの行動を規定する<自然>を分析することが必要になる。



四  <自然>の分析


  1 「演出された本物」としての自然


ブーアスティン(一九六四)は、現代の観光は「疑似イベント」になってしまったと批判した。その箇所の タイトル「旅行者から観光客へ」が示すように、ブーアスティンは偽の体験をさせられている観光客の主体性の喪失を嘆く。この見解を批判したのはマッカネル である。彼は、疑似イベントは観光の社会関係が生んだものであり、むしろ観光客自身はオーセンティシティ(authenticity)つまり真正でリアル な「本物」を求めているのだと主張する(MacCannell 1976:103-4)。マッカネルの本物に関する議論は、社会学者ゴフマンの役割理論における<おもて>と<うら>という2つの領域の区分を導入する。 日常生活を演劇論的な観点から分析するなかでゴフマンは言う。演技者は、舞台の<おもて>と舞台の<うら>の両方を行き来できるが、観客が見聞きできるの は<おもて>の部分だけである。<うら>の領域は隠されているが観客はそれを覗きたがるものである。なぜなら<うら>には本物があると思われているから だ。社会的リアリティを確固とするためには、ある種の神秘化が必要なのだ、とマッカネルは言う(MacCannell 1976:93)。だからマッカネルの関心は観光客の本物の探究のプロセスにあるのではなく、近代社会において本物が隠される神秘化とその暴露の弁証法的 プロセスにある。


さて観光客は、舞台裏のリアルな世界(=本物)を目的地において覗こうとする。しかし、<うら>を見せること は普段の生活の中では許されず、観光地の人びともそれを拒否する。そのために観光業者たちは観光客に舞台裏を見せる操作つまり演出をおこなう。このような 加工によって観光客に提示されるのがマッカネルの言う「演出された本物」(staged authenticity)である。彼は、人びとに対して「演出された本物」が提示される例として、消防署や工場や銀行などへの児童向けの社会見学や、ふ だん訪れることのできないケープ・ケネディ宇宙センターへの観光などをあげている。立入禁止の領域に入ることを、そのような社会見学や観光は可能にする。 だが児童や観光客が入っているのは実際の業務がおこなわれる空間ではあるが、その空間でおこなわれる現実の業務そのものは含まれていなかったり、制限され たものになっている。つまり観光客に見せられるものは、ゴフマンの言うところの<うら>の舞台ではなく「演出された」<うら>の領域だというわけだ。マッ カネルによればこの「演出された」<うら>の領域は、いまだ分析用語が与えられていない、言わば「生きた博物館の類のもの」であるという (MacCannell 1976:98-99)。


エコ・ツアーでの自然はすべてが本物であり「演出された本物」などはないと言えるだろうか。対象となっている 「自然」の本物性について考えよう。自然保護区の物理的および認識論的な空間区分について注意すれば明白なように、「自然」は不均質な空間である。自然公 園の多くは、観光客に公開している部分と非公開の区域があり、観光客は許可された部分しか歩くことはできない。エコ・ツーリストに開放されている空間と は、管理者や科学者だけが歩ける空間(=本物)とは区分されている。観光に開放されているのは「演出された本物」の空間である(図4の左の同心円部分)。 エコ・ツーリストたちはこのことを全く知らないわけではない。彼らは禁止区域があることを知っている。ガイドや管理者は、禁断の地域を科学研究のために保 存されている大切な場所であると説明する。エコ・ツーリストたちはそのサンクション(規約や規約の価値)を守ることが正しい振る舞いであることを学ぶ。本 物の神秘化と「演出された本物」を通して<自然>という空間が秩序づけられている。

【図の説明】同心円は著者のオリジナル。四角形は、クリフォード、J.『文化の窮状』太田好信ほか訳の p. 283(→意味の四角形

次にツアーそのものの本物性について考えよう。エコ・ツーリストにとっての本物はもっと身近なもので ある。そ れは「自然」にとけ込んだ人工物の姿だ。コスタリカ中部の熱帯雲霧林の中にある高級エコ・ツアーの「電気のない五つ星のホテル」と称されたロッジはジャン グルの中の「自然」にとけ込むように設計されている。お湯のシャワーはソーラーシステムで暖められる。「全てのエコツーリズムがここにある」と紹介する観 光客向けの新聞記事は、エコ・ツアーに憧れる観光客に対して本物のエコ・ツアーが何であるかを、そこから排除されるものを通して表現する。「時に勘違いし たゲストがテニスラケットとドライヤーを持ち、カラーテレビとルームサービスを求めてやって来るが、ここはリゾートではありません」(Costa Rica Today、一九九四年一月一三日付)。


観光客に提供される「演出された本物」と本物の倒錯した例をエクアドルのエコ・ツアーにみることができる (Colvin 1994)。エクアドルのアマゾン上流の先住民チキュアのコミュニティには、彼ら自身が運営するエコ・ツアーがある。このツアーは先住民のガイドとともに 熱帯雨林の中で、現地の民芸品製作を観察し、神聖な儀礼に参加することを売りものにしている。これらの一連の儀礼は観光用に開催されるものであるから「演 出された」性格を有する——専門のシャーマンがおこなうのでもちろん虚構ではない。より興味深いのはエコ・ツーリストたちの取り扱い方にある。ゲストに熱 帯雨林の「本物」の生活を体験してもらうために、住民たちは観光客たちを伝統的な竹造りで茅葺きのロッジに泊まらせ、夜には蝋燭で明かりをとるようにさせ る。しかし当の先住民はブロック造りでトタン葺きの住宅に自家発電で電灯を引いて生活しているのだ。ここで、エコ・ツーリストの要求に応えて造り上げられ た「演出された本物」を イパーリアルな複製つまり「シュミラークル」(ボードリヤール、一九八四)とみなし、この現象全体を消費社会が行き着く反ユートピアとして見ることは妥当 ではない。私は「演出された本物」の制作を先住民の生存のための生産行為として見る可能性を提示したい。その根拠は「演出された本物」が、現実でも虚構で もないあり得るべき「本質」を表象するものとして、先住民にも観光客にも受け入れられているからである。ここでは「演出された本物」は両者の間での合意を 意味する。


  2 密林における文化生産


自然の中でエコ・ツーリストは生態学者と同じように観察する。だが、その動機は全く異なる。エコ・ツー リストの目的は自分の頭のなかにある自然を動植物の姿のなかに確認することであるが、生態学者の観察は自然界の摂理を発見するためにある。これらの社会的 行為は一種の「文化」の生産行為とみることができる。

この場合、私が採用する文化の定義は、レイモンド・ウィリアムズのものである。彼によると文化とは 「芸術や学 習のみならず、制度や日常行動の中にも存在する、ある種の意味と価値を表現する特定の生き方」である。したがって「文化の分析とは……特定の生き方すなわ ち特定の文化のなかに、暗黙的および明示的な意味と価値を明らかにすること」である(Williams 1965、引用はHebdige 1979:6)。ウィリアムズの議論の前提には、文化は我々の生き方に対して価値や意味を与えるものであるが、誰もが平等にその可能性を享受しているので はなく、文化が社会という外部性によって規定されていることが示唆される。太田はこのことを踏まえて、文化の生産について、次のように述べる。「文化がつ くりだされる状況は、外部からの構造によって規定されているわけだが、そのような<場>を<生きる価値がある場>へと変換する社会的プロセスが文化を生み 出す」(太田 一九九六、一三三頁)。


誰もが容易に想像できるように、人びとの「意味と価値を表現する」生き方(=文化)は社会や歴史によってさま ざまな拘束を受ける。しかし人間は、それらの拘束の存在を自覚することで生き方を自らの手によって変更する可能性が与えられる。もちろん、変更の方法もま たさまざまな拘束のもとにあり、必ずしも無限の選択肢があるわけではない。しかし、この枠組の全体に気づけば、文化を規定する外部からの拘束性は、人間に とってより積極的な意味をもつことがわかるはずだ。外部から拘束をうけている条件が、それまでの生き方を打ち壊し、あたらしい生き方を生み出す(=文化生 産の)契機になるということである。百年以上も前にすでに人類学者ボアズはこのことの意義に触れて「部族の慣習に抵抗する個人の戦いを観察することは重要 である」と述べている(Boas 1982[1940]:638)。


この枠組みを私はエコ・ツアーの分析に導入したい。エコ・ツアーがエコ・ツーリストに対してもたらす外部由来 の<場>である自然を、彼らが<生きる価値がある場>として変換させること。すなわちエコ・ツアーを楽しむプロセスは文化生産そのものである。このプロセ スはフィールドで研究する生態学者においても観察される(図4の右の部分)。


このような文化生産が行われる<場>は常に均質であるとは限らない。旅行の形態やエコ・ツーリストのエスニシ ティや社会階層に応じて多様な文脈があることが想定される。ここで(1)自然保護区のロッジに投宿する高級エコ・ツアーと、(2)一般向きの日帰りパッ ケージ・ツアーを対比してみよう。それぞれ、場所の性格/ツアーの形式/参加コスト/参加メンバーの国籍/参加者の年齢分布/使用言語、が異なることがわ かるはずである。

 (1)高級エコ・ツアー——参加者だけに開放された空間/個別ガイドツアーと自由探索/参加 コストは高い/外国人/中年以上で高齢者の男女が中心/英語

 (2)日帰りパッケージ——国立自然保護区などの公共空間/団体ガイドツアー/参加コストは 安い/外国人とコスタリカ人/若者の男女や家族連れが中心/英語とスペイン語

一般に安価な日帰りパッケージに比べて、高級なツアーではツーリストの行動はより均質である。逆に日帰 りパッケージは遺跡観光やエスニック観光などのグループツアーと類似して、メンバーの構成と行動に多様性がみられる。


エコ・ツーリズムにおける文化生産はまた、資本主義経済のさまざまな仕組み、とくに商品の消費に深くかかわ る。例えばエコ・ツーリストもまた観光用の土産品を購入する消費者である。ただエコ・ツアーでは「自然」そのものは購入したり持って帰ることができないの で、代用品として野生動物を描いたTシャツや野鳥をかたどった木彫りなどを持ち帰る。押し花、木の実や貝殻なども無料の土産品になる。どちらも、「自然」 を表象すると同時に観光客がその地を訪れたことを証明する記号になる。この記号化によって「自然」は商品になる。記号化は観光の文脈の外でも起こる。イギ リスの化粧品チェーンであるザ・ボディ・ショップでは、アマゾンの草木をブレンドした熱帯林化粧品をつくった。その宣伝用のポスターには伝統的な装飾に身 を包んだカヤポの男性の写真が写っている。ここではカヤポ「文化」というよりもカヤポの人たちによって表象される「自然」が商品の差異化のために利用され たのである(Conklin and Graham 1995)。しかし、それを「自然」の消費活動への無差別な取り込みだと判断するのは早計である。無差別とは言えない「自然」の選択と洗練というプロセス が容易に想像されるためである。したがって誰がその選択と洗練をおこなう主体になるのかについての考察が求められる。


今日エコ・ツーリズムは持続的開発の典型的なモデルとして理解されている( Boo 1990)。持続的開発という概念が一九八七年「環境と開発に関する世界委員会」のブルントラント報告で国際社会に登場したときから、環境と開発のトレー ドオフ関係が指摘されてきた。したがって持続的開発のうたい文句は資源保護と開発の健全な両立にある。一九八三年創業の正統派のエコ・ツアーをおこなう会 社は「経済的に健全な熱帯雨林の保護と経営が、地球の要求と土地所有者ならびに政府の要求」にどのような形で貢献できるかを明示することを、その企業目標 として掲げる。持続的開発時代のエコ・ツアーを企画する主体には、生態学的に健全な開発業者としてのモラルが要求されていることがわかる。


他方、消費者としての旅行者もまた環境に配慮した代理店を選ぶことが期待されている。このような判断は、 環境 保護に配慮した商品を購入する「緑の消費者運動」にみられる商品選択の動機に通底する、一種の消費者の倫理(consumer's ethics)と呼べるものである【4】。この倫理が旅行代理店と旅行者の間で規範化されるとき、次のような事態が起こる。パナマには先住民クナの人たち へエスニック観光やパナマ運河に浮かぶバロ・コロラド島へのエコ・ツアーを企画する有名な代理店がある。この代理店は、旅行者に必要な説明を終えた後に、 環境保全のために観光客が現地で守るべき事項を記載した書類を提示し、それにサインをすることを求める。このような契約はエコ・ツーリストにとって苦痛な ことではなく、むしろ適正な観光を選択することであるとして、多くの旅行者は喜んで同意するという。


モラルの主体としてのエコ・ツーリストの存在を裏付けるのが彼らが観光地においておこなう他者に対する「自己 提示」(ゴフマン、一九七四)のやり方である。自然保護区において容易に観察されるのは、彼らの「自然に優しい」(eco-consciousness) 自己像である。これは日帰りのエコ・ツアーよりも、自然のロッジでの宿泊を組み込んだものでより顕著である。エコ・ツーリスト間でお互いに接触する時間が 長くなる当然の結果である。人びとが自然観察から帰って集まる夕食時は、その格好の観察時間になる。ロッジに宿泊する人数は限られており、テーブルは二、 三のグループに自然に分かれ、打ち解けた会話が始まる。北アメリカやヨーロッパからきた彼らの多くは、管理職か技術者で年齢は中年から引退直後ぐらいの カップルたちである。言語は給仕や厨房のスタッフと交わすスペイン語以外はすべて英語である。会話は形式張った自己紹介からではなく、その日に森林で見か けた動植物や森林内の小道や見所に関する情報交換から始まる。話題はさらにコスタリカの他の保護区の見所や穴場などの情報交換へと展開する。食事も終わ り、食後のデザートやコーヒーが出る頃には、世界の旅行地での経験——彼らの多くは自称「放浪者」(bagabond)である——や環境汚染など話のグ ローバルな視点へと転ずる。会話は常に参加者が共通にもつ自然愛好という枠組みを崩さない。マッカネル(一九七六)は、近代西洋社会において個人間の価値 をもとにする道徳的な合意の衰退を一方で指摘しながら、他方でこの社会が強力で広範な合意をもちうるのは観光の規範であると述べた。彼の主張はエコ・ツー リズムにおいても妥当する。


ではこのようなエコ・ツーリストの道徳感覚や嗜好を彼らが属する社会集団から説明することはできないだろう か。ブルデュ(一九九〇)によると、自然をロマンの対象としてみる典型的な例は「知識人」である。教授層や知識人層はブルジョアとならんで支配階級に属し ている。ブルジョアは経済資本も文化資本も豊かであるが、知識人は文化資本は大きいが経済資本が乏しい。知識人の自然志向はブルジョアに対して対抗的に形 成されたものだという。知識人は経済資本を潤沢に利用した自然の利用、例えばリゾートでのテニスやゴルフなどを享受することができないからだ。実際、経済 資本も文化資本も豊かなブルジョアでは、これらの娯楽が可能になり、自然観もまた整理整頓されたものを好むようになる。より下降したプチブルの「自然」へ の回帰は、知識人のロマン主義傾向を取り入れた学習行為の結果だと解釈される。この説明にもとづけば、エコ・ツーリストたちが相手の経済資本に関する情報 を探る越境を慎み、彼らの興味に従う自然についての無難な会話を展開させるやり方は、彼らの社会での位置関係と密接な関連をもつものだと解釈される。



エコ・ツーリストに対する宣伝文句「ここはリゾートではありません」においても彼らの会話においても、エコ・ ツーリストは内的体験を最も重視している。このことは文明を嘲笑し見せかけよりも自然という本質に重きをおく点でブルデュのいうプチブルのロマン主義的な 自然観に符合する。ではエコ・ツーリストを彼ら以外のカテゴリーの観光客と「卓越化」(ブルデュ)する原理を見つけることができるだろうか。エコ・ツーリ ストの内面体験重視を知るものにとっては逆説的に思えるのだが、卓越化はリックサック、雨合羽、トレッキングシューズ、帽子や双眼鏡などの彼らが身につけ ている装備を通しておこなわれる。したがって街において森から戻ってきたエコ・ツーリストを発見することは、さほど難しくない。エコ・ツーリストと話せば 彼らの関心が商品のブランドにあるのではなく、その縫製がしっかりしているかとか、素材は何かということに強い関心が払われていることがわかる。エコ・ ツーリストにとって服装は自覚された重要な表現手段になっている。服装は「意味生産としてのスタイル」なのである(Hebdige 1987[1979]:117)。


  3 <自然>の世界システム


 人びとは自然を通して初めてエコ・ツーリストたりえる。このことは<自然>が、エコ・ツーリストにとっ て一種の想像上の空間、とくに領土的性格をもった空間であることを示唆する。自然という「領土」には所有権が設定されているが、この権利は取引によって譲 渡が可能である。<自然>の取引を国家と多国籍ネットワークの企業やNGOとの関係の中に見てみよう。


 (a)国家の主導権


 コスタリカの<自然>の所有権をめぐって第一の権利を主張しているのが国家である。また自然保護の推進 者は先住民や地元の人たちではなく、観光政策を推進し、かつ資源としての生物多様性を重要視する政府である【7】。コスタリカの国立公園システムは一九七 〇年に始まったが、その当初の目的は観光振興にあったのではなく森林資源保護にあった。コスタリカが経済開発としての観光の重要性を認識するようになった のは一九八〇年代中頃であり、かつ観光の魅力に自国の自然の豊かさを加えた(Jenner and Smith 1992:116)。エコ・ツアーを積極的に組織する企業や旅行代理店の創業の時期もこの頃である。資源保護としての国立公園や自然保護区の整備が先行 し、エコツーリズムはそれを利用する形で成長してきた。
 他方、一九九〇年代以降<自然>は観光の資源であると同時に、潜在的な天然資源であることが認識されるように なる。コスタリカにおけるこの新しい天然資源を国家管理下におくようになった象徴的な出来事は、一九九一年に政府がアメリカ合衆国に本社をもつ世界最大級 の製薬企業体であるメルク社と協定を締結したことである(Keck 1995; Reid et al. 1993)。この協定によってメルク社はコスタリカの熱帯雨林の動植物や細菌を薬品に利用する権利を得た。同社はコスタリカ生物多様性研究所 (Instituto Nacional de Biodiversidad, INBio)に二年間先行投資として一一三万五千ドルを支払い、予算の一〇%を政府の保護区のために利用したという。同研究所はメルク社による技術協力を もとに天然物質の分析や薬品開発をおこない、アメリカの同社にそれらのサンプルやリストを発送する。もし、商品開発に成功した場合にはメルク社が特許権を 保有し、利益の五%のローヤルティを同研究所に支払うのである。遺伝子などの自然の潜在的な資源性は先進国の研究機関での実験や分析によって開発されてき た。実際に遺伝子資源の特許権を確保しているのはほとんど主要先進国である。したがって、コスタリカがおこなった国際間の取引は、自然の豊かな低開発国が 先進国に対して正当な要求であることを立証した事業だと理解されたのである(Greaves ed. 1994)【8】。
 ところが実際にコスタリカで資料を収集してきたのは生物学のフィールド科学者であり、現地人の調査助手たちで ある。「頭のおかしい」グリンゴ(gringo)とは森林に分け入って熱狂する白人の旅行者や生態学者に対してコスタリカ人が貼りつけてきたレッテルで あったが、もはやそのような揶揄を飛ばす者はいない。資源ナショナリズムの文脈では、遺伝子資源を海外に不当に持ち出すのは外国人ならびに外国企業であ り。ナショナリストたちはそれを憂慮しているからである【9】。この天然資源としての<自然>の存在は、国民に広く知らしめなければならない。コスタリカ の首都サンホセでは一九九二年五月に大規模な第二回国際シンポジウム「生態学、観光、自治体」が開催され、五日間にわたって国内外から六三〇名(公式登録 者数)が参加した。そこでは、大統領、観光大臣が出席し、コスタリカやアメリカ合衆国の熱帯生物学者、観光研究者、地域経済学者などが招待され五〇以上の 講演と五つのワークショップが開催された。まさに政府は「自然」という資源を管理する主人公になり、<自然>はコスタリカの経済開発の駆動力(エンジン) になったのである。


 (b)NGOの介入


 一九九二年「環境と開発に関する国連会議」(地球サミット)において、低開発諸国は先進諸国による環境 破壊の責任を糾弾した。それは七二年ストックホルム国連人間環境会議で、低開発諸国が開発の権利の主張し彼らに押しつけられた環境基準への抵抗を表明した ことの再演であった。<自然>の開発=搾取(exploitation)は国際間で著しい南北格差がある。産業化でストレスの溜まった先進諸国の人たち が、低開発国の豊かな自然を求めて保養に来るが、付近の住民は依然として破壊と貧困に苦しんでいる。エコ・ツーリズムもまた帝国主義や新植民地主義の先棒 を担いでいるという見解である。ナッシュ(Nash 1989:38-40)が指摘するように、地元民が帝国主義的な活動に自発的に呼応するようになることが帝国主義の性格であるならば、エコ・ツーリズムの ブームとは帝国主義が地球サイズにまで拡張した証である【10】。クロスビー(一九八六)は『生態学的帝国主義』において、地球レベルでの環境改変のヨー ロッパ化が有史以降進行してきたと指摘する。つまり、動植物の持ち込み、改良、収集などを通して地球の各地の環境を「新ヨーロッパ」(Neo- Europes)として大規模に変えてきたのはヨーロッパの人びとであった。エコ・ツーリズムのやり方をコスタリカ人に教え、生態系や遺伝子資源を認識さ せたのもまたヨーロッパやアメリカを中心とする先進国でありバイオテクノロジー産業である。変化の担い手はこのような「資本主義の先兵」だけにとどまらな い。先進国の消費者もまたその一員である。 ンバーガーコネクションを例にして検討してみよう。
 世界的に熱帯林の縮小が統計的な観点から明らかにされ、それが問題にされたのは一九八〇年代になってからであ る(メイサー、一九九二、二四九頁)。このような危機の時代に敏感に反応したのが環境主義を掲げる先進諸国のNGOである。著名な環境学者マイアースは「 ンバーガー・コネクション——いかにして中央アメリカの森林が北アメリカの ンバーガーになるのか」という論文をスウェーデン王立科学アカデミーの環境雑誌に発表した(Myers 1981)。その中で彼は中央アメリカで過去二〇年間に行われた森林伐採の多くはアメリカ合衆国への輸出用牛肉生産のためであると指摘した。マイアースに よれば、第一世界であるアメリカ合衆国の「物質主義的なライフスタイル」と中央アメリカの「森林破壊」が結びつく。合衆国のライフスタイルにおける牛肉を 材料とするファーストフードの増加と国内食肉の価格の上昇、そして合衆国と中央アメリカの食肉の価格差が、中央アメリカの熱帯林の破壊と牧草地への転用を 引き起こし、この地を輸出用食肉の最大の供給地にさせたのである。
  ンバーガーコネクションはコスタリカのマスメディアにも取り上げられ、コスタリカの資源ナショナリズムを加速させる一因となった。他方、アメリカ合衆国の 消費者団体もまた関心を深め八七年には ンバーガー・ファースト・フード・チェーンの大手のある企業に対して全米ボイコットをおこなった。抗議を受けたこの企業のスポークスマンは熱帯雨林の跡地 利用の牧場の牛肉を利用しないと表明した。八九年サンフランシスコにある環境保護団体である「熱帯雨林行動ネットワーク」は、ニューヨークタイムズ紙に、 ンバーガーを食べている男の大写しの写真に「なぜ一日に五万エーカーの多雨林を失うか」というキャプションをつけた全面意見広告を出した。<自然>の収奪 が先進国の産業ネットワークを通しておこなわれたとすれば、破壊の阻止と自然の保全はNGOの運動を通してだというわけである。
 「持続的開発の成功物語」(Green and Barborak 1987)としてコスタリカのエコ・ツーリズムは、 ンバーガーコネクションとネガとポジの関係にある。 ンバーガーコネクションが輸入牛肉のアメリカでの消費とコスタリカの自然破壊を結びつけたのに対して、エコ・ツーリズムは<自然>の象徴的消費を媒介にし て、コスタリカを世界システム経済の中へと駆り立てたからである。同じことは国際市場に流通している低開発国の不良債権をNGOが購入し、これを帳消しに する代わりに、その政府に自然保護政策をとることを約束させる「自然と債務の交換」(Debt-for-Nature Swap)にもみられる。第三世界の産品を先進国の消費者に公正に届けることを通して現地社会に貢献するという「公正な取引」(fair trade)運動もまたしかりである。これらに共通していることは先進諸国の人びとに「消費者の倫理」が要求されていることだ。現在では、コスタリカと先 進諸国の国民を結びつけるNGOの活動は、インターネットや保護区内でのボランティアを通していよいよ強固になりつつある。インターネットでは、複数の保 護区で求められているボランティアの職種、使用言語、居住条件、報酬などの詳しい情報を引き出すことができる。もちろん電子メールで高級自然ロッジの予約 も可能だ。エコ・ツアーはこのようなインフラストラクチャーを組み込んでさらに活況を呈する。と同時に、国際的な結びつき抜きには成長はおろか維持するこ ともできない従属的産業に発展しつつある。


 五  結論


普遍的な状態である自然から、人間が婚姻のルールや料理などの規範を作り出することによって相対的で特 殊な個別の文化へと移行するという図式のもとでつくられた、自然/文化の二項対立はレヴィ=ストロースによる議論を通して多くの文化人類学者にとって親し みのあるテーマになっている。しかし、ここでの<自然>はより現実的であり、たんに文化と対比される隠喩にとどまらない。自然は人間の舞台であり、国家の 資源とされ、論争や闘争の<場>として見なされることを我々は検討してきた。


エコ・ツーリストは、そのような<場>の登場人物である。彼らは集合的な範疇を形成する。エコ・ツーリストを 操作的に「民族」や「超民族」(super-ethny)として扱うという手法のもつ理論的意義はここにある(Jafari 1984;van den Berghe 1994)。我々は、彼らの<自然>についての見解を、あたかもエスノサイエンスとして調査することができる。ところが、エコ・ツアーの舞台である自然保 護区の管理は生物学という学問の権威によって支えられている。またエコ・ツーリストの<自然>観そのものが自然科学の影響下にある。つまりエコ・ツーリズ ム研究においては自然科学のフィールド・サイエンスの枠組みもまた脱構築させてゆく必要があるのだ(Haraway 1989)。


ヴァン・デン・バーグは、エスニック・ツーリズムは「民族誌の戯画」であると表現した。とすればエコ・ツーリ ズムは「生態学の戯画」である。北米の生態学者たちは生物の宝庫であるコスタリカの「自然」を論文生産を通して、また国立公園指定のためのロビー活動をお こなって、それを守った。エコ・ツーリストたちはコスタリカの「自然」の象徴的消費を通して自己の環境保全意識を産出させる。環境主義者たちは、中央アメ リカの森林伐採を阻止するためにアメリカで ンバーガーの不買運動を起こした。生態学者もエコ・ツーリストもそしてアメリカの環境主義者も、<自然>を駆動力(エンジン)にして彼らに与えられた <場>を<生きる価値のある場>に変えているのだ。


それらの諸行為がどれだけ現実の効果を持ち得たのだ、という疑問は当然出てこよう。あるいは「彼らは所詮コス タリカの人たちを世界システム経済の中に放り込んだ請負業者に過ぎない」という批判も出てくるかもしれない。しかし結論を急ぎ唯一の解答を求めることは、 人びとの文化生産のもつ意義を過小評価することにつながる。日常生活の中で人びとは手持ちの手段を使ってとりあえず自己の戦略を展開させなければならな い。エコ・ツーリストは我々に対してそのような文化生産のあり方を提示する。

Eco-Tourism, Exploitation and the Cultural Production of the Natural Environment in Costa Rica [*1]

【註】



 【1】コスタリカには、一九九二年末、九四年暮れから九四年初頭と、四度にわけて合計五〇日近く間滞在した。 とくに九四年以降の調査は文部省科学研究費補助金「カリブ海地域におけるエコ・ツーリズムの比較研究」によるものである。研究代表者の石森秀三先生には フィールドにも同行していただき、さまざまな恩恵を受けた。同じく共同研究者の太田好信さんは調査地で苦楽を共にした仲間であり学問的にも大きな影響を受 けた言わば私の師匠(Gran Maestro)である。コスタリカ観光局勤務(当時)のマルコ・ピカードさんと人類学者フランシア・ブドロウィさんには、未刊行の資料の提供を受けただ けでなく研究上のさまざまな示唆を授けてくださった。コスタリカをはじめ世界各国からきたエコ・ツーリストやガイドのみなさんには人類学者兼観光客として の私に貴重な体験を授けてくれた。これらの方々に謝意を表したい。

 【2】エコという接頭辞と語幹のあいだに「・」を挿入したが、これは欧米語の イフンと同じ機能をもたせ、エコという接頭辞をつけないツアー、ツーリスト、ツーリズムとの相違点を明確に意識するために使った。またこの措置は、一般的 用法としてエコツーリズムの多くが個別現象としての「エコ・ツアー」と混同されている事実を指摘し、エコ・ツーリズムが社会現象であることを指し示すとい う意味もある。

 【3】コスタリカ人の間でエコ・ツアーに対してどれだけの需要があるのかについては未調査である。外国人顧客 がほどんどを占める大手の代理店の企画するツアーに参加するとコスタリカ人観光客に出会えない。しかし、ウミガメ産卵の観察など保護区内への入場が制限さ れている観光地では、自家用車でやってきたコスタリカ人観光客のグループに遭遇した。

 【4】外国人観光客には、コスタリカのガイドブックだけですくなくとも十数種のものがあるが、もっともよく売 れているのが『コスタリカ新虎の巻』(Blake,. and A. Becher, 1993, The New key to Costa Rica, Ulysses Press.)であろう。「消費者の倫理」感覚(本文後半参照)をくすぐるリサイクルペーパーで作られたこのガイドの最大の特徴は、エコロジーに照らして 持続的観光と認められた優良宿泊施設には太陽をシンボル化したマークがつけられていることである。

 【5】ジャンセンはコスタリカの国立公園の保護、保全および国立公園指定に貢献しつづけている生態学界の大物 である。彼の学問的影響力は『コスタリカの自然史』に寄稿した174名の共著者の数に示されている(Janzen ed. 1991:原典は英語版[1983])。彼はグアナカステ周辺の用地購入活動と熱帯乾燥林の研究を通して政府を動かし国立公園の指定(1989年)をとり つけた。その際の、外国からの財源はネオトロピック財団(Fundacion Neotropica )と国立公園財団(Fundacion de Parques Nationales) などを通して確保された。

 【6】これに関する情報は、文中にあげた文献のほかにコスタリカ観光局、天然資源省、コスタリカでのインタ ビューや会話、テキサス大学ラテンアメリカ研究所のインターネットホームページのひとつであるラテンアメリカ情報センター(LANIC, //lanic.utexas.edu/)からリンクされているページなどから入手した。特にインターネットからは、米国の国防省提供の外国情 報、コスタリカの民間エコ・ツアー代理店などの商業情報、熱帯林雨林行動ネットワークなどのNGOからの情報を参考にしてある。そのため情報量が膨大で常 にアップデートしているためにその出典はとくに明記しなかった。

 【7】コスタリカでは現在のところエコ・ツアーと先住民の結びつきが希薄である。ところが、国民の一パーセン トをしめる先住民の多くは国立公園に隣接した保護区の住民であり、また介入を深めつつある先進国のNGOは先住民の村落開発のためにエコ・ツアーを組み込 む動向がある。<自然>の専有権をめぐる議論が、先住民を巻き込んで今後は現在のものとは異なった展開をとげるかもしれない。

 【8】インドネシアやブラジルなどは、このローヤルティは先進国の企業の利潤に対して不当に低いという不満を 表明しているという(諏訪雄三、一九九六『アメリカは環境に優しいのか』新評論、二七六頁)。コスタリカとこれらの国々のポジションの違いは、<自然>を どこまで自国の技術で開発できるのかという国家認識の違いとみなすことができる。現在では自国の領土にある遺伝子資源を国家の管理下におく動向はひろく開 発途上国を中心として拡がっている。それに対して先進国では、そのような介入は企業の自由な研究開発を阻害するものとして敬遠されている。したがって先進 国のバイオテクノロジー企業もメルク社の行動を手放しで歓迎しているわけではない。

 【9】バイオテクノロジー先進国である日本もこの問題に無関係ではない。私は低開発国をフィールドにする日本 の医学・自然科学者が参加するある会議に出席したことがある。そこで彼らは、遺伝子資源——現地患者の血液や病原体のDNAも含まれる——を、いかに当該 国の税関をクリアして日本に持ち込むかに関するノウ ウについて議論していた。彼らにとって、遺伝子資源ナショナリズムは、「研究の自由」を阻害する不当な風潮であると認識しているようだ。

 【10】ナッシュ(一九八九)は帝国主義の主体を明示することができない。主体なき帝国主義というメタファー の限界を知ったのだろうか、ナッシュは地球規模の観光現象を取り扱った近著(Nash,D., 1996. Anthropology of Tourism,Pergamon)ではこの用語ではもはや使わない。彼の議論の限界は、帝国主義を資本の世界的流通という現象面でとらえ、誰がその流通 に支配権を握っているのかという問題意識がなかったからである。

文献

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Copyleft, CC, Mitzub'ixi Quq Chi'j, 1996-2099

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