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内田光子の身体技法

techniques du corpus of Dame Mitsuko Uchida DBE, b.1948


Mozart: Concerto for piano and Orchestra (d-minor) K.466, Uchida

池田光穂


身体技法(techniques du corpus)という用語は、マルセル・モースになる論考に由来するものである。モースによると、あらゆる身体の所作は、その担い手が属する文化の仲で コード化され、修得されていく、技法をこのように呼んだ。「身体技術」の名称も、理論的にはそれを継承しているが、本稿では「身体を護りながら発達させて い く」という点に、より多くの力点をおき、文化的なコードと同様に、生物学的な視点も加味している。マルセル・モースは、入院した時に、看護婦(当時) の歩き方——たぶん腰の振り方——が、見覚えあるような気がしてならなかったが、その看護婦とは面識がない。そのあとで、彼女の歩き方は、ハリウッド映画 でみた、女優の歩き方と似ていると感じたそうだ。そこから、モースは、人は、心理的にアイデンティファイする人の、体の動かし方、つまり、身体技法 (techniques du corpus)が、意識的に学ばなくても、半ば無意識的に学んで、実際に身体の動かし方を通して、身についていくのだろうと、推測した。実際に聴衆からの まなざしの中でコンサートホールで演奏する芸術家の所作は、そのようにして学んでいった結果の可能性がある。また、ミラーニューロンの発見により、注視し ている身体所作と、その同じ運動領域 の神経活動が動いていない見守っている人の頭のなかでおこるという示唆は、人間の身体—神経細胞—人間のこころ、の連関性を示唆して余りある事例である。

★動画を観察し、彼女がどのようなアクションしている時に、彼女の顔の表情も観察しましょう。また、モーツアルトの当該曲()について、調べてみましょう。

(うちだ みつこ、Dame Mitsuko Uchida DBE、1948年12月20日 - )は、静岡県熱海市生まれ、英国籍のピアニスト、指揮者。ユニバーサルミュージック所属。
・情報は、日本語ウィキペディア等による。
早年期
お茶の水女子大学附属小学校在学中、桐朋学園の「子供のための音楽教室」にて、松岡貞子に学ぶ[1]。父内田藤雄が西ドイツ大使などを務めた外交官であっ たため、12歳で渡欧。1961年からオーストリアのウィーン音楽院でリヒャルト・ハウザーに師事する[2]。同時期に、留学中の寺田悦子が同音楽院に在 籍し、互いに切磋琢磨したという。その後も、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、ヴィルヘルム・ケンプ、ステファン・アスケナーゼ、ニキタ・マ ガロフ[3]らの薫陶を受ける。 その後、一時帰国するが、再び渡欧。 ロンドンでは一時、マリア・クルチオなどにも師事する[4]。

ロンドンから世界へ
1971年、英国ウィグモア・ホールでの演奏会にて、ロンドン・デビュー。1972年に拠点をロンドンに移す。ヨーロッパを中心に活動するが、1970年 代は不遇の時代であった。東芝EMIなどで細々と録音していたが、大手レコード会社からのオファーは全くなかった。日本では、演奏会を開くことすらままな らず、両親がチケットを売りさばくことに苦心していた。本人は「私は日本の音楽大学を出ていなかったから…」と当時を振り返っていた。自主開催や労音など の地方公演、恩師である松岡貞子の配慮で開催していた科学技術館・サイエンスホールにおける公開レッスンなど、金銭面では有難かったが非常に不本意な時代 だったと回想している。

1982年、東京文化会館小ホール、そしてロンドンのウィグモア・ホールでのモーツァルト「ピアノ・ソナタ連続演奏会」は「ウチダの火曜日」とロンドンの 批評家から絶賛を浴び、一躍、楽壇の寵児となる。続いて1984年に、イギリス室内管弦楽団を自ら指揮しつつ演奏したモーツァルトのピアノ協奏曲の全曲演 奏会を契機に、フィリップスにモーツァルトのピアノ・ソナタとピアノ協奏曲を全曲録音。これら一連のチクルスは空前の大成功を収め、これを契機に長い不遇 の時代を経て名実ともに国際的な名声を不動のものとする。それまでの彼女はバルトークのピアノ協奏曲第3番を演奏[5]するなどレパートリーの照準が定ま らなかったが、この名声を経て前期ロマン派以前にレパートリーを絞り込む。1983年はエリザベート王妃国際音楽コンクールの審査員を務めた。

世界のUchidaとして
1984年、小澤征爾の指揮するベルリン・フィル定期演奏会にバッハのピアノ協奏曲とメシアンの異国の鳥たちを弾いてデビュー。それ以降、国際メジャー・ オーケストラの定期演奏会、そしてザルツブルク音楽祭、プロムス、タングルウッド音楽祭、ルツェルン音楽祭などの世界的音楽祭の常連となった。 1991年、満を持して殿堂カーネギー・ホールにてデビューリサイタル。1999年にGreat Pianists of 20th Centuryシリーズに日本人で唯一の選出。最近では、子どものための演奏会、室内楽、マスタークラス、そして若手音楽家への支援に力を注いでいる。ボ ルレッティ=ブイトーニ財団の評議員をつとめ、リチャード・グードと共同でマールボロ音楽祭のディレクターもつとめている[6]

演奏スタイル
得意とするベートーヴェンやシューベルトでは、拍節感を強調しない、拍子がそろった均等拍の特徴を使いこなし、拍子を均等にする代わりにフレーズが変わる 都度テンポを揺らせ、強弱をコントロールし新鮮な印象を与えたり、シューベルトでは転調直前の休符に「期待感」の代わりに「完結感」を与えたりするなど、 均等拍を基本とし、その上に意図的かつ知的な表現を散りばめ、全体としてシリアスかつ知的な印象を与えているとの評価がある[7]。

これまでの共演 
これまでに、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、ボストン交響楽団、シカゴ 交響楽団、バイエルン放送交響楽団、ロンドン交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団、イスラエル・フィルハーモニー管 弦楽団、イギリス室内管弦楽団、マーラー室内管弦楽団などとの共演している。特にクリーヴランド管弦楽団とは100回以上共演している。

モーツァルトの協奏曲などでは弾き振りを披露することも多いが、指揮者とは、ズービン・メータ、ベルナルド・ハイティンク、ピエール・ブーレーズ、サイモ ン・ラトル、リッカルド・ムーティ、エサ=ペッカ・サロネン、グスターボ・ドゥダメル、アンドリス・ネルソンス、マリス・ヤンソンス、小澤征爾、シャル ル・デュトワ、ザンデルリング、クリストフ・フォン・ドホナーニ、コリン・デイヴィス、フランツ・ウェルザー=メストら世界的名手と多くの共演をしてき た。これほどの共演歴を持つ日本出身の奏者は彼女ぐらいであると言って良い。

また、日本国内での活動が主だった時期には、読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、東京交 響楽団などと、岩城宏之、小林研一郎、渡辺暁雄、山田一雄、若杉弘、尾高忠明、秋山和慶らと共演していた。

また、歌曲や器楽の伴奏者としても活躍してい

レパートリー
主に、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンの録音の評価が高く、近年はそららの作品を多く演奏している。ドイツ系の作曲家の作品に若 い頃から取り組んでおり、上記の他に、J.S.バッハ、ハイドン、ブラームスらの作品にも取り組んでいた。 また、近現代の曲にも積極的に取り組んでおり、ドビュッシーのエチュード、ラヴェルのピアノ協奏曲なども演奏している他、シェーンベルク、ベルク、ヴェー ベルンら新ウィーン楽派の作品、クルターグ、メシアン、ブーレーズの作品も演奏している。

過去にはショパンやラフマニノフも弾いていたが、後年、特にロシア音楽に関しては興味がなくなったと述べている。ショパンも現在は全く弾いていない。

受賞歴
1966年 - ミュンヘン国際音楽コンクール第3位[8]
1968年 - エリザベート王妃国際音楽コンクール第10位
1969年 - ウィーン・ベートーヴェン国際ピアノコンクール第1位[9]
1970年 - ショパン国際ピアノコンクール第2位[10][9]
1973年 - ルツェルン音楽祭主催クララ・ハスキル国際ピアノコンクール第2位
1975年 - リーズ国際ピアノ・コンクール第2位
1975年 - レーヴェントリット国際コンクール第2位[11]
福山賞
1986年 - サントリー音楽賞[12]
1990年 - ロイヤル・フィルハーモニック・ソサイエティ・チャールズ・ハイドシェック特別賞
1991年 - 第3回飛騨古川音楽大賞
1996年 - 朝日賞
2001年 - CBE(大英帝国勲章第3位)[9]
2005年 - 文化功労者[13]
2006年 - 日本レコードアカデミー賞[6]
2008年 - BBCディスク大賞
2009年 - DBE(大英帝国勲章第2位)を授与されエリザベス女王よりデイムの称号を授かる[9]
2009年 - 英国グラモフォン賞[14]
2011年 - 第53回グラミー賞・最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞[15]
2012年 - ロイヤル・フィルハーモニック金メダル[16]
2015年 - モーツァルト生誕259年記念モーツァルト・ゴールデン・メダル
2015年 - 高松宮殿下記念世界文化賞音楽部門
2017年 - 第59回グラミー賞・クラシック部門最優秀ソロ・ボーカル・アルバム賞[17][18]

Honours and awards
1986: Suntory Music Award[18]
1989: Gramophone Award for Best Instrumental Recording, for her set of the complete Piano Sonatas of Wolfgang Amadeus Mozart[19]
2001: Appointed Honorary Commander of the Order of the British Empire (CBE) in the 2001 New Year Honours. At the time, the award was honorary because she was not yet a citizen of the United Kingdom.[20]
2001: Gramophone Award for Best Concerto Recording, for her recording of the piano concerto of Arnold Schoenberg (with Pierre Boulez conducting)[19]
2003: Uchida was elected an international member of the American Philosophical Society[21]
2008: In April, BBC Music Magazine presented her its awards for Instrumentalist of the Year, and Disc of the Year (Beethoven's Hammerklavier Sonata).[22]
2009: She was promoted to Dame Commander of the Order of the British Empire (DBE) in the 2009 Queen's Birthday Honours.[23] On this occasion, the award was substantive,[24] as she had become a British citizen.
2009: In June, she was awarded an honorary Doctor of Music (DMus) degree by the University of Oxford during Encaenia 2009.[25]
2011: Grammy award for Best Instrumental Soloist(s) Performance (with orchestra) for her recording of Mozart's Piano Concerti No. 23 K. 488 and No. 24 K. 491 with the Cleveland Orchestra, which she conducted from the keyboard.
2012: in May, Uchida was awarded the Royal Philharmonic Society Gold Medal, one of the highest honours in classical music.[26]
2015: in January, Uchida was awarded the Gold Medal of the Foundation (Stiftung) of the Mozarteum University of Salzburg[27]
2015: Praemium Imperiale, awarded by the imperial family of Japan[28]
2017: Grammy Award for the Best Classical Solo Vocal Album (as accompanist) with Dorothea Röschmann[29]
人物
1972年以来、ロンドンに居住。私生活上でのパートナーは「世界最高の知性100人(英語版)」にも選ばれた、EU理事会対外・政治軍事総局長であるロ バート・クーパー[19]。美学的理由につき、現在は一切の国際コンクール審査員を断り続けている。母方祖父に(1871-1934)。



Dame Mitsuko Uchida, DBE (内田光子, [ɯtɕida miꜜtsɯ̥ko]; born 20 December 1948) is a Japanese-British classical pianist and conductor. She was born in Japan and naturalised in Britain, particularly noted for her interpretations of Mozart and Schubert.

She has appeared with many notable orchestras, recorded a wide repertory with several labels, won numerous awards and honours (including Dame Commander of the Order of the British Empire in 2009) and is the Co-Artistic Director, with Jonathan Biss, of the Marlboro Music School and Festival.[1] She has also conducted several major orchestras.
内田光子(Dame Mitsuko Uchida, DBE, [ɯ miɕɕ]; 1948年12月20日生まれ)は、日英のクラシック・ピアニスト、指揮者。特にモーツァルトとシューベルトの解釈で知られる。

彼女は、多くの著名なオーケストラと共演し、複数のレーベルから幅広いレパートリーを録音しており、(2009年にDame Commander of the Order of the British Empireの称号を含めて)数々の栄誉を受けている。
Life and career
Born in Atami, a seaside town close to Tokyo, Japan, Uchida moved to Vienna, Austria, with her diplomat parents when she was 12 years old, after her father was named the Japanese ambassador to Austria. She enrolled at the Vienna Academy of Music to study with Richard Hauser and later Wilhelm Kempff and Stefan Askenase.[2] She gave her first Viennese recital at the age of 14 at the Vienna Musikverein. Uchida also studied with Maria Curcio, the last and favourite pupil of Artur Schnabel. She remained in Vienna to study when her father was transferred back to Japan after five years.[3][4]

She was awarded tenth prize at the Queen Elisabeth Music Competition in 1968, playing Beethoven, Debussy, and Gaston Brenta in the finals.[5] In 1969 Uchida won the first prize in the Beethoven Competition in Vienna[6] and in 1970 the second prize in the VIII International Chopin Piano Competition.[7] In 1975, she won second prize in the Leeds Piano Competition.[2]

In 1998 Uchida was the Music Director of the Ojai Music Festival in conjunction with conductor and violinist, David Zinman.

She is an acclaimed interpreter[8] of the works of Mozart, Beethoven, Schubert, Chopin, Debussy and Schoenberg. She has recorded all of Mozart's piano sonatas (a project that won the Gramophone Award in 1989) and concerti, the latter with the English Chamber Orchestra, conducted by Jeffrey Tate. Her recording of the Schoenberg Piano Concerto with Pierre Boulez won another Gramophone Award. Uchida is further noted for her recordings of Beethoven's complete piano concerti with Kurt Sanderling conducting, Beethoven's late piano sonatas, and a Schubert piano cycle. She is also respected as a distinguished interpreter of the works of the Second Viennese School.[9]

Her 2009 recording of the Mozart piano concertos nos. 23 and 24, in which she conducted the Cleveland Orchestra as well as playing the solo part, won the Grammy Award in 2011.[10] This recording was the start of a project to record all the Mozart piano concertos for a second time, conducting the Cleveland Orchestra from the piano. Further recordings for this project were released in 2011, 2012 and 2014.[11]

From 2002 to 2007 she was artist-in-residence for the Cleveland Orchestra, where she led performances of all Mozart's solo piano concertos. She has also conducted the English Chamber Orchestra, from the keyboard. In 2010, she was artist-in-residence for the Berlin Philharmonic. She was senior artist at the Marlboro Music School and Festival in 1974 and 1992, and has been permanently associated with Marlboro since 1994 when she became a member of the Committee for Artistic Direction. In 1999 she became one of two Artistic Directors along with fellow pianist Richard Goode. She served as the sole Director until 2018 when Marlboro Music announced that American pianist Jonathan Biss would assume the role of co-artistic director.[12] She is also a founding trustee of the Borletti-Buitoni Trust, an organisation established to help young artists develop and sustain international careers.[13] In May 2012, the Royal Philharmonic Society announced that she would be honoured with their Gold Medal (she received the society's annual Music Award in 2003); previous recipients have included Johannes Brahms (1877), Frederick Delius and Sir Edward Elgar (1925), Richard Strauss (1936), Igor Stravinsky (1954), Benjamin Britten and Leonard Bernstein (1987).

Her 2015 performance with the Cleveland Orchestra elicited this review from the Cleveland Plain Dealer:

Call it the mark of a master. Just when Mitsuko Uchida was starting to seem predictable, the goddess of purity, the pianist goes and exhibits another persona altogether. Performing Mozart again with the Cleveland Orchestra Thursday, the pianist-conductor treated listeners to a heartier, more robust version of her art. More than just the layout of the strings, she rearranged, in a refreshing manner, her very sound.[14]

Her 2022 recording of Beethoven's Diabelli Variations[15] was nominated for a Grammy for Best Classical Instrumental Solo[16] and won a Gramophone Piano Award.[17]
生い立ちと経歴
東京にほど近い海辺の町、熱海に生まれた内田は、12歳のとき、父親が駐オーストリア日本大使に任命されたため、外交官の両親とともにオーストリアの ウィーンに移り住んだ。ウィーン音楽院に入学し、リヒャルト・ハウザー、後にヴィルヘルム・ケンプフ、シュテファン・アスケナーゼに師事した[2]。内田 はまた、アルトゥール・シュナーベルの最後の愛弟子であったマリア・クルチオにも師事した。5年後、父親の転勤で日本に帰国した後もウィーンに残り、研鑽 を積んだ[3][4]。

1968年、エリザベート王妃音楽コンクールで第10位入賞、本選ではベートーヴェン、ドビュッシー、ガストン・ブレンタを弾いた[5]。 1969年、ウィーンのベートーヴェン・コンクールで優勝[6]、1970年には第8回ショパン国際ピアノ・コンクールで第2位入賞[7]。

1998年には、指揮者でありヴァイオリニストでもあるデヴィッド・ジンマンとともに、オハイ音楽祭の音楽監督を務めた。

モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、ドビュッシー、シェーンベルクの作品の解釈には定評がある[8]。モーツァルトのピアノ・ソナタ 全曲(1989年にグラモフォン賞を受賞)と協奏曲を録音しており、後者はジェフリー・テイト指揮のイギリス室内管弦楽団と共演している。ピエール・ブー レーズとシェーンベルクのピアノ協奏曲を録音し、これもグラモフォン賞を受賞した。クルト・サンデルリンク指揮によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集、 ベートーヴェンの後期ピアノ・ソナタ、シューベルトのピアノ曲集などの録音でも知られている。彼女はまた、第二ウィーン楽派の作品の優れた解釈者としても 尊敬されている[9]。

2009年に録音したモーツァルトのピアノ協奏曲第23番と第24番は、クリーヴランド管弦楽団を指揮し、ソロ・パートも演奏したもので、2011年のグ ラミー賞を受賞した[10]。このプロジェクトのさらなる録音は、2011年、2012年、2014年にリリースされた[11]。

2002年から2007年までクリーヴランド管弦楽団のアーティスト・イン・レジデンスを務め、モーツァルトのピアノ協奏曲全曲の演奏を指揮した。また、 イングリッシュ室内管弦楽団を鍵盤楽器で指揮した経験もある。2010年にはベルリン・フィルのアーティスト・イン・レジデンスを務めた。1974年と 1992年にマールボロ音楽学校および音楽祭のシニア・アーティストを務め、1994年に芸術監督委員会のメンバーとなって以来、マールボロと恒久的な関 係を保っている。1999年、同じピアニストのリチャード・グッドとともに2人の芸術監督のうちの1人となる。マルボロ・ミュージックが、アメリカ人ピア ニストのジョナサン・ビスが共同芸術監督に就任することを発表した2018年まで、彼女は唯一の芸術監督を務めた[12]。 [過去には、ヨハネス・ブラームス(1877年)、フレデリック・デリウスとサー・エドワード・エルガー(1925年)、リヒャルト・シュトラウス (1936年)、イーゴリ・ストラヴィンスキー(1954年)、ベンジャミン・ブリテンとレナード・バーンスタイン(1987年)などが受賞している。

2015年のクリーヴランド管弦楽団との共演は、クリーヴランド・プレーン・ディーラー紙からこんな批評を引き出した:

巨匠の証だ。内田光子というピアニストが、純潔の女神のような、予測可能な存在に思えてきた矢先、このピアニストはまったく別の人格を発揮するようになっ た。木曜日にクリーヴランド管弦楽団と再びモーツァルトを演奏したこのピアニスト兼指揮者は、彼女の芸術のよりハートフルで力強いバージョンで聴衆をもて なした。弦楽器の配置だけでなく、彼女のサウンドそのものを爽やかにアレンジしたのだ[14]。

彼女が2022年に録音したベートーヴェンのディアベリ変奏曲[15]は、グラミー賞のベスト・クラシック・インストゥルメンタル・ソロ部門にノミネートされ[16]、グラモフォン・ピアノ賞を受賞した[17]。
●ピアノ協奏曲第20番 (モーツァルト)
ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K. 466 は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが1785年に作曲したピアノ協奏曲であり、モーツァルトが初めて手掛けた短調の協奏曲である。

モーツァルトのピアノ協奏曲の中でも特に人気のある作品であり、とりわけルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが大変気に入っていた作品として知られている。

モーツァルトは短調のピアノ協奏曲を2曲(もう1曲は第24番 ハ短調(K. 491))作曲しているが、華やかさが求められた当時の協奏曲とはうってかわって、それまでの彼の協奏曲には見られない、激しい情熱の表出が見られる。暗 く不安げな旋律、劇的な展開などが特徴である。

1781年にモーツァルトは、雇い主であったザルツブルク大司教のヒエロニュムス・コロレド伯と衝突したことにより、生まれ故郷のザルツブルクを追い出さ れ、ウィーンでフリーの音楽家として生活することになった。彼にとってここでの生活の糧は、裕福な貴族や社交界を対象にした演奏会であった。彼はピアノの 名手ということもあり、ウィーン時代に第11番(K. 413)以降の17曲のピアノ協奏曲を書き上げ、特にこの第20番が作曲された1784年から1786年までは、音楽家として作曲・演奏ともに円熟味が増 し、またそれらを発表する良い機会も得て順風満帆の時期であった。

1785年2月10日に完成された第20番は、翌日にウィーン市の集会所「メールグルーベ」で行われた予約演奏会で初演された。しかし、初演の前日になっ てもまだパート譜の写譜が間に合っていない状態であり、初演当日に父レオポルト・モーツァルトがウィーンに到着した時にもまだ写譜師が写譜をしており、特 に第3楽章は通し弾きすら出来ていない状態であった。だが、こんな土壇場で完成した曲にもかかわらず、演奏会を聴いた父レオポルトはモーツァルトの姉ナン ネルに宛てた手紙の中で、

「    おまえの弟は、家具類もすべて整ったきれいな家に住んでいる。……こちらに到着した晩、私たちはあの子の予約演奏会の初日を聴きに行ったが、そこには身分 の高い人々がたくさん集まっていた。……演奏会は較べようもない素晴らしさで、オーケストラも見事だった。……それからヴォルフガングの見事なピアノ協奏 曲が披露された。[1]    」
と報告している。また、この演奏会にはフランツ・ヨーゼフ・ハイドンも訪れていたと考えられ、この手紙の中でレオポルトは、演奏会の翌日にハイドンと会ったことも報告しており、

「    翌日の晩にはヨーゼフ・ハイドン氏と2人のティンティ男爵が訪ねて来られて、ヴォルフガングの作曲した3曲の新しい弦楽四重奏曲を演奏した。すでに私たち が知っている例の3曲に、あの子はさらにこの3曲をつけ加えたのだ。[1]    」
と記している(なお、ここで言及されている計6曲の弦楽四重奏曲というのが、有名な『ハイドン・セット』のことである)。

この第20番は19世紀を通じて広く愛され演奏された数少ない協奏曲の1つであり、1842年9月4日には、ザルツブルクのミヒャエル広場(現・モーツァ ルト広場)にモーツァルトの記念像(ミュンヘンの彫刻家ルートヴィヒ・シュヴァーンターラー作の彫刻を基に、同じくミュンヘンの鋳造家ヨハン・シュティー ゲルマイアーが鋳造したもの)が立てられた際に、除幕式で行われた記念音楽祭でモーツァルトの息子フランツ・クサーヴァー(モーツァルト2世)が本作を演 奏している[2]。

モーツァルトの弟子のヨハン・ネポムク・フンメルは、本作のカデンツァを作曲すると共に、ピアノ・フルート・ヴァイオリン・チェロ用の編曲を残しており、白神典子らが録音している。

第1楽章 アレグロ——ニ短調、4分の4拍子、協奏風ソナタ形式。
チェロとコントラバスのDとアウフタクトでDに向かって音階を上昇する音型の上で、ヴァイオリンとヴィオラの持続する8分音符と4分音符のシンコペーショ ンによる "F - A - D" のニ短調の主和音で印象的に始まる第1主題は16小節目で激しいトゥッティとなる。その後、ヘ長調でオーボエとファゴットの重奏にフルートが答える。77 小節目から独自の主題によるピアノのソロが静かに入る。ピアノ導入部の主題と冒頭の弦の主題とが呼応する展開部を経て再現部に入り、オーボエ、ファゴッ ト、フルートによる副主題はヘ長調のまま、第2主題がニ短調で再現され、カデンツァを経て静かに終結する。

第2楽章 ロマンツェ——変ロ長調、4分の4拍子、三部形式。
この楽章は非常に美しい旋律でよく知られ、ミロス・フォアマン監督製作のモーツァルトを主人公にした映画『アマデウス』(1984年)ではエンディングに 使われたことでも知られている。他の楽章と違ってゆったりとした旋律である(第1楽章の223~225小節にかけてほぼ同じ旋律が登場する)。しかし、中 ほどのト短調の中間部の激しいピアノソロが緊張感を与えている。ベートーヴェンはこの曲を好み、特にこの第2楽章の中間部を研究していたという。父レオポ ルトは、この楽章を「気高いほど荘重な」と評している。

第3楽章 ロンド:アレグロ・アッサイ——ニ短調 - ニ長調、2分の2拍子、ロンドソナタ形式。
一転変わって、激しい曲想でピアノの分散和音のソロから始まる。そしてピアノのソロの後は弦楽器でピアノの旋律を一斉に奏する。曲が進むにしたがって華や かさも増していき、カデンツァの後はニ長調に転じて締めくくる(なお、この第3楽章はもうひとつの未完の草稿が残っている)。

カデンツァについて

第1楽章の365小節目と第3楽章の345小節目にはカデンツァの指定がある。このピアノ協奏曲について、残念ながら作曲者自身によるカデンツァは残されていないが、歴代の作曲家や演奏家たちがこの協奏曲にカデンツァを残しており、下記がその例である。
ヨハン・ネポムク・フンメル
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (WoO 58)
フランツ・クサーヴァー・モーツァルト
シャルル=ヴァランタン・アルカン
クララ・シューマン
ヨハネス・ブラームス (WoO 14)
フェルッチョ・ブゾーニ
現代において特に有名なのは、ベートーヴェンとブラームスによるカデンツァである。この協奏曲において、ベートーヴェンによるカデンツァは定番となってお り、演奏会や録音で最もよく演奏されている(演奏会や音源などで特に表記がない場合は、ベートーヴェンによるカデンツァで弾かれることがほとんどであ る)。









リ ンク

文 献

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