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だって俺たち犬儒派なんだもん

Because we are Cynicists, not dog-matic Confucianists.

市智河團十郎

俺は犬だ!(→pdf)あるいは、犬の住まいとはなにかを哲学的に考察するページで す。このページの目的は、俺は私はどう生きるのか?ということを、高校生のみなさんと一緒に考えていただきたいためにつくりました。表題のタイトルは「だって、おれたち、けんじゅはなんだもん」と読ませます。

だって犬儒派なんだもん?!: 住処とはなにか?
 【】キュニコス派(キュニコスは、英語: Cynicism、古代ギリシア語: κυνισμός)とは、アンティステネスを開祖とするヘレニズム期のギリシア哲学の一学派。小ソクラテス学派の一つ。犬儒派(けんじゅは)とも呼ばれる [1][注釈 1]。 キュニコス派にとって、人生の目的とは自然に与えられたも のだけで満足 して生きることにある[3]。理性的生物として、厳格な鍛錬を積んだり、富・権力・名声といった従来のあらゆる欲求を放棄して自分達にとって自然な暮らし 方をすることで、人々は幸せを得ることができるとした。その代わり、彼らは一切の所有物を持たない簡素な生活を送ることになった。 これらのテーマを概説した開祖の哲学者がアンティステネスで、彼は紀元前5世紀後半にソクラテスの弟子でもあった。彼に続いたのが、アテナイの路上に置か れた甕の中で生活していたとされるシノペのディオゲネスである[4]。ディオゲネス はキュニコス派思想を論理的極限まで採用し、典型的なキュニコス派哲学 者と見なされるようになっていった。彼に続いたのが、アテナイで貧しいキュニコス派の生活が送れるようになるため莫大な財産を手放したとされるテーバイの クラテスである。 紀元前3世紀以降にキュニコス派が徐々に重視されるようになり[5]、1世紀のローマ帝国台頭と共に復興を果たした。同帝国のあらゆる都市でキュニコス派 が物乞いや説法者として現れるようになり、似たような禁欲主義および修辞学の思想が初期キリスト教に反映された。19世紀までに、キュニコス派哲学ならで はの悪い側面を注視することが、人間の動機や行動における誠実さや善良さを信じられず斜に構えがちな皮肉の現代的理解に繋がった。

けんじゅは:古代ギリシアの哲学者シノペ のディオゲネスがみすぼらしい身なりで町をさまよい歩き、樽(たる)を住居として「犬のような生活」を送ったことからいう) 哲学の学派の一つでキュニコス派の異称。アテナイのアンティステネスを祖とし、認識より実行を重んじ、欲望をおさえ、慣習や文化から独立した自然の生活を することが正しいとした学派。シニシズム(冷笑主義)の語源。
💙審問:犬儒派の家をもつのか?犬は住処をもつのか?
【アンティステネス】アンティステネス(アンティステネース、希: Ἀντισθένης、Antisthenēs、紀元前446年 - 紀元前366年)は、古代ギリシアの哲学者。同時代人であるソクラテスの影響を受けつつ、独自の思想を展開した。ディオゲネスらキュニコス派の祖としても 知られる。 概要 トラキア人の母のもと、アテナイに生まれた[1]。ソクラテスの影響を受ける以前は、ゴルギアスやヒッピアス、プロディコスといったソフィストのもとで修 辞学などを学んだとされる[2]。その後、アテナイ郊外のキュノサルゲスを学園として自らの思想を説いた[3]。 逸話の一つとして、彼はソクラテスの言葉を聴くためにピレウス港からアテナイ市街へと毎日徒歩で通い、友人たちにも共に来るように薦めていたといわれる [4]。 彼は清貧を重んじたため、彼のもとには多くの貧しい人々が集まるようになった。彼は、世界を高貴であったり壮麗であったりするものではないと考え、袖なし の外套のみを纏い、哲学の象徴として杖一本とずだ袋一つだけを所持していた。彼の追随者はみなこの装いを真似るようになったが、あまりにもこれ見よがしで あったため、ソクラテスは彼を次のように非難した。「おおアンティステネスよ、私には外套の隙間から君の自惚れが見える」[5]。 アリストテレスによれば彼は無教養で単細胞であるとされ、またプラトンによればディアレクティケーの困難さに対して無駄な努力をしているとされている。た だし、これらの悪評は、学派間の張り合いによって少なくともいくらかは脚色されていると思われる。他方で、マルクス・アウレリウスはストア派の立場から 『自省録』の中で彼に言及し、「善をなしながら粗末に生きることは素晴らしい」と評価している。[要出典][注釈 1] 思想 ディオゲネス・ラエルティオスによればその著作は十巻にも及び、倫理学を中心に言語哲学や自然哲学を説いたとされる[7]。しかしながら、現在はその断片 しか残されていないため、彼の思想には不明な点が多い[8]。叙述形式としては対話篇を好んだとされる
《ディオゲネス》は、画家のジャン・レオ ン・ジェロームによって制作された作品。制作年は1860年から1860年で、ウォルターズ美術館

・ディオゲネス「ここからこの樽を我が家となす〜♪ 」
・犬たち「ほんで俺たちは、またホームレスに逆戻りですかい?!」
・「文明の寄食者である犬儒主義者は、文明はけっしてなくならないであろうという確信があればこそ、文明を否定することによって生きているのだ」オルテガ 『大衆の叛逆』
【】
「"Cynic"という語句は、古代ギリシア語で「犬のような」を意味する"κυνικός"(kynikos)そして「犬」を指す"κύων" (kyôn)から派生したものである[6] 。キュニコス派が古代に「犬」と呼ばれた理由の説明の一つは、キュニコス派の開祖アンティステネスがアテナイの体育施設キュノサルゲス(この単語が 「白い犬の場所」という意味)で教えを説いたためである[7]。ただし、従来の常識を何ら恥じることなく拒絶して路上生活する彼らの決断に対する侮辱とし て、「犬」という単語が初期のキュニコス派に投げつけられていたことは間違いないようで、日本での呼称「犬儒派」(犬のような乞食生活をしたから)[8] もここから来ている。特にディオゲネスは「犬」と呼ばれており[9] 、彼はその(生物的な犬との)違いを「他の犬は敵に噛みつくけど、私は友達に噛みつくんだ」と述べて笑っていたようである[10]。後年のキュニコス派も この言葉を優位なものに変えようと模索しており、後年の解説者は次のように説明している」

誠実な人間を探すディオゲネス (J. H. W.ティシュバイン画、1780年)
ジュール・バスティアン=ルパージュ (1848~1884)作「ディオゲネス」
【】「キュニコス派は、あらゆるヘレニズム哲学で最も印象的な学派の 一つである[12]。不確実性の時代に、幸福の可能性や苦しみからの解放を人々に与えると主張した。キュニコス派に公式な教義は存在しなかったが、その基 本原則は次のように要約できうる[13][14][15]。 人生の目標は幸福感(ユーダイモニア)と精神的明晰さ(ἁτυφια)であり、誤った信念・不用心さ・愚かさ・うぬぼれを意味する文字通り「まやかし (τύφος)からの解放」である。 ユーダイモニアは、自然と調和して生きることによって、人間の理性に理解された際に成し遂げられる。 傲慢さ(τφφаа)は誤った価値判断によって引き起こされ、それは否定的な感情・異常な欲望・悪徳な性格の原因となる。 ユーダイモニアまたは人間の繁栄とは、自給自足(αὐτάρκεια)、超然たる心境(ストア派のアパテイア)、アレテー、人類愛、パレーシア、人生の栄 枯に対する無関心(アディアフォラ)次第である[15]。 自然においては無価値の富・名声・権力といった影響から解放される手助けとなる禁欲的な修行(ἄσκησις)を通じて、繁栄および明晰さに向かって邁進 すること。代わりとして、彼らはポノス(労苦)の生きかたを奨励した。キュニコス派にとって、これは実際の肉体的な仕事を意味しなかったようである。例え ば、ディオゲネスは手工業をしないで物乞いすることで生活した。それはむしろ、意図的に困難な生活を選ぶことを意味しており、例えば冬に薄いクロークだけ を纏って裸足で歩いていた[16]。 キュニコス派は厚顔無恥(αναδεα)を実践し、法律や習慣や人々が当然だと思っている社会的慣習といった社会のノモスを打破する。 キュニコス派は、この金箔張り銅像(2世紀)に見られるヘラクレスを自分達の守護英雄として採用した[17][18] したがって、キュニコス派は財産を持たず、お金・名声・権力・評判など因習的な価値感を全て拒絶する[13]。自然にしたがって生活する生き方は、生存に 必要な最低限の必需品だけを求め、慣習の結果であるどんな需要からも自身を解放させることで人は自由になれるという[19]。キュニコス派は、理想的な キュニコスの象徴たるヘラクレスを自分達の英雄に採用した[17]。ヘラクレスは「ハーデースの番犬ケルベロスを冥界から連れ出した人物であり、犬(呼ば わりされた)人間のディオゲネスにとって特別な訴求点だった」という[18]。ルキアノスによれば「ケルベロスとキュニコス派は犬を介して確実に関連があ る」という[20]。 キュニコス派の生活をおくるには、判断や精神印象を働かせるだけでなく肉体的な鍛錬も不断に行うことが要求された。 (ディオゲネスは)2種類の活動が存在すると言っていた。それは言うなれば、心と身体の活動である。そして後者は、その実践時に相当迅速で機敏な印象を心 に形成し、美徳の実践を非常に容易なものにしてくれる。しかし、片方が欠けたひとつでは不完全であり、なぜなら善行の実践に必要となる健康と活力は、心と 体の双方に等しく依存するためである[21]。 これはキュニコス派が社会から隠遁するという意味ではない。実際のところキュニコス派は公共の視線に完全に晒された中で生活し、また自分達の型破りな振る 舞いの結果生じたであろうどんな侮辱に直面しても非常に無頓着であった[13]。キュニコス派はコスモポリタニズムの思想を生み出した。お前はどこから来 たのかと尋ねられた際に、ディオゲネスが「世界の市民(kosmopolitês)」と答えたのが発端となっている[22]。 理想的なキュニコス派は伝道を施す。人類の番犬として、彼らは人々のやり方の誤ちについて吠えたてることが自分達の義務だと考えた[13]。キュニコス派 の生活(およびキュニコス派の噛み付くという風刺の使用)が、日常慣習の根底に潜む偽った主張を掘り起こして暴露することになると考えた[13]。 キュニコス派は主に倫理を焦点としていたが、モニモスなど一部のキュニコス派は懐疑論の見解を表明してトゥフォス(τῦφος)に関する認識論を説いた。 キュニコス派哲学はヘレニズムの世界に大きな影響を与え、最終的にはストア派に重大な影響を与えた。ストア派のアポロドロスは紀元前2世紀に「キュニコス 派は美徳への近道である」と述べている[23]。」
アレクサンダー大王とディオゲネス
【羅馬世界のキュニコス派】「紀元前2世紀や前1世紀にキュニコス派の記録はほとんどなく、ギリシア哲学に豊富な関心があったローマの哲学者キケロ(紀元 前50年頃)がキュニコス派について語った「それは毛嫌いするべきである。というのも(キュニコス派は)謙虚さとは逆であり、それなしには権利も名誉もあ り得ないからである」[60]のほかに殆ど何も言及されていない。しかしながら、西暦1世紀までにキュニコス派は充分な力を備えて再登場した。ローマ帝国 の台頭は、3世紀前のピリッポス2世 (マケドニア王)とアレクサンダー大王によるギリシアの独立喪失みたいに、多くの人々に無力感と欲求不満をもたらし、そのため自給自足と内なる幸福を重視 する哲学が再び盛んとなった[61]。同帝国のあちこちで、キュニコス派が街角に立ち美徳について説教する様子が見られた[62]。ルキアノスは「あらゆ る都市が、特にディオゲネス、アンティステネス、クラテスの名前を書き込んで後援者になったり、犬儒軍団(Army of the Dog)に入隊する新参者たちで溢れている」と訴え[63] 、アリスティデスは「彼らが頻繁に戸口を訪れ、主人よりも門番と話し合い、図々しさを活用することで自分達の低い身分を補っている」ところを目撃したとい う[64]。1世紀におけるキュニコス派の最も特筆すべき代表者がデメトリウスで、セネカは彼の事を「本人はそれを否定しているが、彼は公言した原則に忠 実で一番の難題に取り組む価値のある弁舌を備えた、途方もない知恵ある人物」と称賛した[65]。ローマ時代のキュニコス派は、風刺家の標的であり思想家 の理想でもあった。西暦2世紀にルキアノスは、キュニコス派哲学者のペレグリヌス・プロテウスを蔑視する一方で[66]、対話では彼自身のキュニコス派の 師であるデモナクスを賞賛した[67]。 キュニコス派はストア派の理想化された形態と見なされるようになり、その見解はエピクテトスが長い談話の中で理想的なキュニコス派を称賛したことでもたら された[68]。エピクテトスによると、理想的なキュニコス派は「善悪に関する伝道者として自分がゼウスから人々に遣わされたことを知っており、人々が横 道にそれていることを当人達に示す必要がある」という[69]。エピクテトスにとって不幸なことに、その時代のキュニコス派の多くはその理想に従わなかっ た[70]。 ストア派(独立の哲学としては2世紀以降に衰退)とは異なり、キュニコス派は4世紀に繁栄したようである[71]。皇帝ユリアヌス(治世361-363 年)は、エピクテトスのように理想のキュニコス派を賞賛して実際のキュニコス派実践者に関しては苦言を呈した[72]。古典時代史の最後に記されている キュニコス派は、5世紀後半におけるエメサのサルスティウスである[73]。新プラトン主義哲学者の弟子であるアレクサンドリアのイシドロスは、禁欲的な キュニコス派の生活に自身を捧げた。」
現代犬の逆説、ワンチャンのプチブルジョ アジー化
【】 「犬小屋(いぬごや、英語:doghouse、kennel)とは、犬を飼っておく小屋[1]。犬舎ともいう[2]。 概要 主に犬の屋外飼育において、雨・風・直射日光などから保護し、安心して熟睡できる環境を与えるための小屋であり、犬にとっては自宅・自分の部屋・シェル ターに当たるものである。屋外で飼われる犬の場合、小屋が無くて犬の身体が風・雨・直射日光に長時間さらされた状態では体調を崩しがちになって短命になり がちである。また犬も身体を保護するものが無いと睡眠が浅くなりがちである。犬小屋は犬を雨・風・雪・直射日光などから保護し、身体を囲ってやることで安 心して熟睡できる環境を提供し、犬の健康に役立つ。 なお、一般的に犬の屋内飼育には犬小屋は必要無いが、屋内飼いでケージ類を設置する人や、まれに犬小屋を設置する人もいる。 各国の犬小屋 アメリカ アメリカ議会図書館の画像ライブラリに収録されている犬小屋の画像として最古のものは1864年頃の風刺画「The old bull dog on the right track」とされる[3]。また、ホワイトハウス史のウェブサイトでは第23代大統領のベンジャミン・ハリソン(1889-1893)の記事に愛犬ダッ シュが犬小屋につながれている画像がある[3]。 イギリス イギリスでは2018年動物福祉規則に飼育する犬のスペース等の規定がある[2]。犬舎での保管業の場合、犬舎の各個室は、隙間風が入らないこと、犬が一 定の行動をとるのに十分な空間を与えること、犬が横になるために必要な広さの2倍の床面積をとることなどを定めている[2]。特に2018年動物福祉規則 の発効日以降に建てられる犬小屋(犬舎での保管業が使用する犬小屋)については床面積が少なくとも1.9平方メートル以上と定められている[2]。 ドイツ ドイツには犬に関する規則があり、屋外飼育については第4条「屋外飼育に関する要請」や第6条「犬舎での飼育に関する要請」に義務規定がある[2]。ま た、屋内飼育については第5条「屋内飼育に関する要請」の義務規定があり、人間が使用することを意図していない部屋での屋内飼育の場合、使用可能な床面積 を第6条「犬舎での飼育に関する要請」に定める床面積の条件を満たさなければならないとしている[2]。 フランス 犬の収容施設又は保護施設の経営、繁殖、販売、一時飼養又は一時預かり、しつけ、訓練及び展示の従事者は、2014年4月3日のアレテの附則(義務規定) に定める飼養施設等の条件を満たさなければならないとしている[2]。 日本 江戸時代に徳川綱吉によって設置された「犬小屋」があるが、大規模なもので、主に個々に犬小屋に入る形態のものとは形状も大きく異なる[3]。近世の日本 では狆などが屋内飼いされていたが、その他の犬は基本的に「地域犬」であったとみられている[3]。個々に飼育する犬小屋は江戸時代にはみられず、その傍 証として犬小屋の絵図や浮世絵が発見されていないことが挙げられている[3]。 日本で犬小屋が普及するのは幕末開国による洋犬飼育が始まってから広まったとされる[3]。」

犬儒派が制度化されて公務員になった時に、その官舎は犬小屋と呼ぶの か?(書棚は本の住処というが誰も本の家とは呼ばない?!)(→その時に、ワンコは忙しくなるであろう「︎パーキンソンの法則」)

【図像】大アントニオスの肖像。 初期キリスト教の禁欲主義は、キュニコス派の影響を受けた可能性がある[74]
【ジーザス・クライスト・ファッキング・ドック】「ユダヤ教キュニコス派としてのイエス 一部の歴史家は、イエスの教えとキュニコス派の教えの類似点を指摘している。一部の学者は、マタイとルカの福音書に共通の源資料とされる仮説上のQ資料が キュニコス派の教えと強い類似点があると主張している[75][76]。バートン・L・マックやジョン・ドミニク・クロッサンといった歴史上のイエス探求 (Quest for the historical Jesus) を行う学者達は、西暦1世紀のガリラヤがユダヤ教の思想・伝統とヘレニズム思想が衝突した世界だったと論じている。ナザレから徒歩わずか1日のガダラ市は 特にキュニコス派哲学の中心として注目され[77]、マックはイエスを「むしろ普通のキュニコス派型の人物」と評している[78]。クロッサンによると、 イエスは罪人の身代わりとなって死ぬキリストや、独立したユダヤ人国家イスラエルを創設したメシアというより、ヘレニズム期のユダヤ教 (Hellenistic Jewish) の伝統から生まれたキュニコス派聖人のような人物だった[79]。他の学者たちは、イエスがキュニコス派の影響を深く受けたことを疑問視しており、ユダヤ 教預言の伝統を非常に重要視している[80]。」
【初期キリスト教におけるキュニコス派】「キリスト教におけるキュニコ ス派の影響 キュニコス派の禁欲的な習慣の多くが初期キリスト教徒によって採用された可能性があり、彼らはしばしばキュニコス派と同じ修辞的な方法を採り入れた [81]。一部のキュニコス派は権力者に歯向かう発言をしたために殉教した[82]。キュニコス派の一人ペレグリヌス・プロテウスは、キュニコス派へと改 宗する前に一時キリスト教徒として生活しており[83]、一方4世紀では、アレクサンドリアのマクシモスもまたキリスト教徒でありながら当人の禁欲的な生 活様式のためキュニコス派と呼ばれていた。キリスト教の作家はしばしばキュニコス派の清貧を賞賛している[84]、とはいえ彼らはキュニコス派の厚顔無恥 を蔑視しており、アウグスティヌスはキュニコス派が「男性の慎ましい本能に逆らって、まさに犬に値する汚らわしくも恥知らずな意見を高らかに宣言した」と 述べている[85]。キリスト教の禁欲的な命令は、初期教会の放浪する托鉢僧に見られるように、キュニコス派と直接的な繋がりがあった[74]。エマニュ エル大学の学者レイフ・E・ヴァージュは、Q資料とキュニコス派書簡 (Cynic epistles) などのキュニコス派文書の共通点を比較した[75]。その書簡には、キュニコス派によって説かれた知恵と(しばしばポレミックな)倫理が、純粋さや美的実 践の感性と共に詰まっている[86]。 2世紀に、キュニコス派のクレスケンス (Crescens the Cynic) はユスティノスと衝突し、キリスト以外の神々の拒絶と自分達の寺院・彫像・犠牲の欠如に言及して、キリスト教徒が一番の無神教(atheotatous) だと主張したことが記されている。これはよく知られるキリスト教への批判であり、4世紀まで続いた[87]。」

交尾とは 補綴のことである】現在のサイボーグ概念にとって私がより重要だと思えるのは、補綴(ほて つ・ほてい)の概念である。補綴(prosthesis)とは、おぎなっ てつづりあわせることであり、不足を足すことであるが、医学・保健用語では義手や義足などの義肢(ぎし)である。この概念が拡張し、ハイテクなどの技術と 融合するように、SFなどでは表現される(例えば、映画『スターウォーズ・エピソードV:帝国の逆襲』に登場するルーク・スカイウォーカーの右手の義手) ことが多いが、この拡張版と考えればよい。

「ボクサー犬とその家」(19世紀の油絵。作者不詳。)。「むく材」でできており切妻屋根。内部にはわらがクッションや断熱材として敷かれている。
Page 65 of Epistolae Hippocratis, Democriti, Heracliti, Diogenis, Cratetis (Letters of Hippocrates, Democritus, Hereclitus, Diogenes, Crates). Pseudo-Diogenes, Letter 1, addressed to the people of Sinope.

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The are a collection of letters expounding the principles and practices of Cynic philosophy mostly written, rewritten, or translated, in the time of the Roman empire, but purporting to have been written by much earlier philosophers.
キニコス書簡は、キニコス哲学の原理と実践を説いた書簡集で、そのほとんどはローマ帝国時代に書かれたり、書き直されたり、翻訳されたりしているが、それ以前の哲学者によって書かれたとされている。
Letters and dating
The two main groups of letters are a set of 51 letters attributed to Diogenes of Sinope, and a set of 36 letters attributed to Crates of Thebes. Most of the letters of Diogenes were probably written or altered in the 1st century BCE, whereas the letters of Crates, some of which seem to be based on the Diogenes letters, probably date from the 1st century CE.[1] It is not known who wrote the letters, but they seem to have been influenced by multiple authors.[2] Written in Koine Greek, the Epistles are among the few Cynic writings which have survived from the time of the Roman empire.[3]

In addition to these letters, there are 10 spurious epistles attributed to Anacharsis and 9 epistles attributed to Heraclitus. The letters of Anacharsis may have been written in the 3rd century BCE, whereas the Heraclitean letters probably date from the 1st century CE.[1] Anacharsis and Heraclitus predate the Cynics, but they were both regarded by the Cynics to have anticipated Cynic ideals. There are also 35 Socratic epistles supposedly written by Socrates and his followers (Antisthenes, Aristippus, Aeschines, Xenophon, etc.), many of these letters were also written by someone with a strong affinity towards Cynic ideals, albeit with a sympathy towards Aristippus rather than Antisthenes.[1] Other fictitious letters, such as some of those attributed to Hippocrates, could also be included among the Cynic epistles.[1]
書簡と年代
シノペのディオゲネスが書いたとされる51通の手紙と、テーベのクラテスが書いたとされる36通の手紙である。ディオゲネスの書簡の大半は紀元前1世紀に 書かれたか、改変されたものであろうが、クラテスの書簡の一部はディオゲネスの書簡を基にしていると思われ、おそらく紀元後1世紀のものであろう[1]。

これらの書簡に加え、アナハルシスのものとされる10通の偽書簡とヘラクレイトスのものとされる9通の書簡がある。アナハルシスの書簡は紀元前3世紀に書 かれた可能性があるのに対し、ヘラクレイトスの書簡はおそらく紀元後1世紀のものである[1]。アナハルシスとヘラクレイトスはキニク派よりも先行してい るが、キニク派からは両者ともキニク派の理想を先取りしたとみなされていた。また、ソクラテスとその信奉者(アンティステネス、アリスティッポス、アイス キネス、クセノフォンなど)によって書かれたとされる35通のソクラテス書簡もあり、これらの書簡の多くも、アンティステネスよりもアリスティッポスに共 感していたとはいえ、キニクスの理想に強い親近感を抱いていた人物によって書かれたものである[1]。ヒポクラテスのものとされる書簡など、その他の架空 の書簡もキニクスの書簡に含まれる可能性がある[1]。
Content
The Cynic epistles deal with ethical matters rather than religious ones: their purpose is not to seek the divine, but rather to seek the ethically pure life by breaking away from social norms and conventions via ascetic practices.[2] The content of the epistles are not especially original, but probably served as a means to propagate Cynic ideology.[3] The letters discuss different aspects of the Cynic way of life, as part of a rigorous training (askesis). Thus instructions and explanations are given on whom (and whom not) to emulate and how different aspects of wisdom are acquired and demonstrated, mixed in with polemics directed against people who oppose these ideals.[2] The moral anecdotes contained in the epistles are probably examples of those used by Cynic street preachers of the time.[3] As with much Cynic thought in the time of the Roman empire, the content of the epistles show influences from Stoicism and other philosophies.[3]


内容
書簡の内容は特に独創的なものではないが、おそらくはキニクスのイデオロギーを広めるための手段として用いられたと思われる[3]。そのため、誰に倣うべ きか(そして誰に倣ってはいけないか)、知恵のさまざまな側面がどのように獲得され、発揮されるのかについての指示や説明が、これらの理想に反対する人々 に向けられた極論と混じり合って与えられている[2]。書簡に含まれる道徳的な逸話は、おそらく当時のキニク派の街頭説教師によって用いられたものの一例 であろう[3]。ローマ帝国時代の多くのキニク思想と同様に、書簡の内容にはストア派や他の哲学からの影響が見られる[3]。


︎田辺繁治『生き方の人類学』講談社、2003年:解説ノート▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎︎▶︎▶︎

リンク集

文献


ポンペイの遺跡にある「猛犬注意」のモザイク
(c)Mitzub'ixi Quq Chi'j. Copy&wright[not rights] 2015

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